還暦間近というのは、まだ十分に人生経験を積んだとは言えない。
なんていうと、信長の時代、そう浪曲敦盛の句に「人生50年」とあり、
昔の偉人達には、まだ悟りを開けないのかといわれてしまいます。
でも、おぼろげながら、わかったことをつづりたくなりました。
それは、「流れに乗ることが成功の秘訣」ということ。
流れに乗るとは、無理をしない、乗っているのにそれ以上、捻じ曲げてしまうこと。
もっと熟しないと、それ以上の境地にいけないのに、無理に早くたどり着こうとすること。
エクスカリバーというアーサー王伝説の映画がありました。
私はこの映画が好きで、さすがに伝説だけあって、
比ゆ的にも教訓的にもたくさん人生の意味を感じさせられるシーンがありました。
私はキリスト教徒ではないですが、とても興味深く何度も観ました。
「流れに乗ること・・・」が、よくわかるシーンがあります。
アーサー王の臣下にランスロットという無敵の騎士がいます。
いわゆる円卓の騎士。
ランスロットは騎士道を守る忠実な僕なのですが、
葛藤の中、王妃グは恋におちます。
アーサー王は、ランスロットと決闘します。
アーサー王は、神の与えた無敵の剣「エクスカリバー」を持ち、無敵です。
一方、ランスロットは、最強の剣士。誰にも負けたことがない最強の剣士。
腕では、アーサー王に負けません。
真剣勝負の結果、形勢は当然、実力のランスロットなのですが、
アーサー王は、エクスカリバーに勝利をもたらすよう念じます。
その結果、ランスロットを破ります。しかし、エクスカリバーは折れてしまいます。
破られることのないはずの最強の剣士と、折れることのない最強の剣。
ここに矛盾が生じてしまいます。
神はアーサーに告げます。「起こってはならないことが起きた。やってはならないことをしてしまった。」と。
そして、瀕死のランスロットはその場を逃れ、エクスカリバーは、神の化身が持ち去ります。
これが、「無理をした」ということです。
前後のストーリーや善悪の問題は別として、この場合、アーサーは勝てる戦ではなかったわけです。
そしてそれまでは、決して、個人のためにはエクスカリバーの力を使わなかった。
その暗黙の自戒を破り、自分のために使ってしまったわけです。
そこに誤りがあったわけです。
いろいろなことが言えます。
簡単には、実力以上のことをしようとした。
あるいは、
機は熟していないのに、無理やり押し通そうとした。
あるいは、
流れに乗っていないのに、自分で流れを作ろうとした。
などと表現できますが、どれもズバリ表現できていない感じです。なんとなく、いろいろ言い換えてようやく説明できるということでしょうか。
続く・・・・