論理学と向き合うには、やはりウィトゲンシュタインに触れなければならないでしょう。世界と認識のしくみと認識された世界にケリをつけるため、般若心経と不完全性定理に触れてきました。
これに、ウィットゲンシュタインの「論理哲学論考」を加えれば、お互いに異なるアプローチから「認識」に関して考察することができ、「ケリ」をつけられるはずです。
まず原典から忠実に、見てみましょう。
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このブログで、よく出てくるのが、「ゲーデルの不完全性定理」。
この不完全性定理について、ちょっと考えてみます。
あらゆる問題を解くときに、最も信頼できるできる方法が数学であると、
暗黙の了解のもとに信じられていました。
この数学と言う方法論は不完全な方法であって、絶対的に真理を追究できる方法ではないと断言された定理です。
しかもそれを実証したのは、数学自身でした。
当時、1930年頃、どれほど、驚がく的なパラダイムシフトを起こしたのでしょうか。
ただ、まず断っておけば、数学と言う実証法は依然として有効であるし、
それを良しとして駆使する人間の理性そのものは決して否定されたわけではありません。
「ゲーデルの不完全性定理は、数学を失望させたのか」の続きを読む »