電子書籍「ビッグクエスチョンについて考えた平凡な人の自伝」を出版しました。
月の裏側というテーマはとても興味深いものがあります。
これは全体の映像ではありません。NASAの打ち上げたGarilという探査機が、役割を終える前に残された時間を使い、昨年初めに撮影されたビデオ映像です。
世界で初めて月の裏側の映像が撮られたのは、1959年。ロシア(当時のソ連)の月面探査機ルナ3号が撮りました。
そしてこれがアポロが撮ったもっと鮮明な写真。もちろん時代差があり、撮影距離、撮影技術の差があります。また位置関係(上下左右やカバーしている範囲)の双方の同一性は未確認です。そのまま比較するのは困難かもしれません。
裏側には謎が多く、まず大きな違いは、裏側には「海」がほとんどないということ。月の「海」とは、アポロ11号が着陸したことで有名な「静かの海」に代表されるような、「平地」のこと。裏側にはこの平地が無く、険しい地形になっています。
月とは誕生初期の地球に惑星規模の大きな天体が衝突して、地球から分かれてできた天体という説があります。今より地球から近い距離にあり、現在の表側の地球に向けていたため、当時高温の地球の熱を常時表面が受け続けたため、表面がゆっくり冷え、裏側は急速に冷えたため、表側だけに平地たる「海」ができたのだそうです。
また、見えない裏側にはいろいろな憶測が飛び交い、興味深い説では、「宇宙人基地」があるのではないかといううわさもあります。出回っているその手の情報量はかなりなもので、アポロが隠したとされる月の建造物の写真などもネットには出ています。私としては、信じるに足るレベルでありかつ意味を持つ情報を得るまで判断を保留にしていますが、この宇宙に知的生命体は地球人だけというのはとても寂しい話であり、またあまりにも稀な話しであろうと考えています。
以前にも記事にしましたが、科学技術が驚異的に発展を遂げた現在でも、宇宙開発は中途半端に終わっています。それ以前にもっと深刻で身近な課題が山積みだからという理由は分かりすぎるほどわかるのですが、人類は、もっと倫理的な課題を消化し、互いの争いごとをやめ、他社の助けがなくでも自らを窮乏させることなく、どの国も人たちも自立することのできる力を持たなければならないと考えます。
宇宙開拓が、人類の目標などどは言いません。一つの興味への満足、限られた人たちの趣味の延長に過ぎないとも言えます。しかし、地球の人たちが一つになり、未知の領域を開拓すること、活動空間を増やすこと、せっかくこの宇宙を認識できる能力を授かった人類は、このような広がりに向けて進むべきではないでしょうか。
このテーマも科学好きにはたまらない話なのですが、
いつも結論がでません。
今、我々の生きている宇宙は、
137億年前ビッグバンが起こったとされています。
ビッグバン以前の宇宙には何が存在したのか。
アレキサンダー・ビレンスキー博士は、無の世界から突然有る大きさを持ったものが生まれ、
その結果ビッグバンが起こったということを量子論のトンネル効果で解説。
スチーブン・ホーキング博士は、虚数時間が実時間になったとしていますが、
これは理論上の可能性の話。光が生まれて後、観測できる宇宙が存在するようになったため、
光が存在する前の世界を推論すら困難なのです。
科学からはそれてしまうのものの、
キリスト教というより、その大本であるユダヤ教によれば、
旧約聖書の有名な句「するとそこに光が在った」となっているし、
仏教では、無から有が生まれたとなっており、
突き詰めると、無も有も同じというような解釈も成り立ちます。
認識する方法が生まれて後、認識できるようになった訳であり、
認識力を持たない時点の世界の認識ができないというような、
認識論の限界に突き当たってしまいますが、
それを越えた世界が存在していたのではないかという課題を考察する夢は残されるのです。
学生の時には、毎日こんなことを考えていましたが、
生活に追われる身となってからは、
とんとご無沙汰してしまっていたテーマです。
他に考えることがあるだろっ!
っていつも言われ続けて来ながらも、
この結論の出ないテーマに
時々襲われてしまいます。