とうとう60歳になりました。でもわかったことはとても少ない。
まず人は生まれます。私の記憶では赤い世界の中でのんびりしていたら、誰かが「覚悟を決めてもうここから出なさい」といったんです。居心地の良い世界だったんですが、もう観念しなければならないと思いました。そうしたら柱が見えた。そうして生まれたんですね。
私は、私より前に生まれてきた人たちの造った世界に組み込まれました。有無を言わさず。いい悪いではありません。このことを評価はできません。だた、やみくもに組み込まれたんです。いきなりリアリティのある世界にです。組み込まれました。法則らしきものがあったり、ルールがあったり、強制的にです。組こまれました。誰にも平等に、人は一人で生まれ、強制的にそれより前に一人で生まれてきた大勢の人たちの世界に組み込まれるのです。拒否できません。別の道も選べません。誰も平等に。これは真実です。アプリオリに明証な気がします。不思議ですね。
でも意味を感じる。限定の意味。この限定された在り方に安ど感を覚えます。
意識をもって、自我をもって、外の世界を見つめる私がいます。最初は無意識なので、このことに気付いたのは、10歳のころ。つまりずるいですよね。生まれてしまってかなりしばらくしてから気付かされるなんて。
同時に周りの世界も妙です。人間は賢いもので、この世界の年齢が約137億年ぐらいだと突き止めたようですが、それより前のことや空間的にこの世界の外側について不明です。光より早いものはないらしいものの、この宇宙の膨張速度は光より早いらしい。
ここまで議論できるようになったのは物理学のおかげですが、その物理学でも、意識の機能は解けない、物理学は客観的な対象物の解法なので、主観の機能を解くのは無理。今の自我には始まりがあったのに永続するのか、終わってしまうのかは不明。
自然科学の対象外の疑問に関して、自然科学で永遠に解けない謎を非科学的なんて評価する人もいるので、何が何やら、識別できていない。全くこの世は不思議だらけ。
でもおそらく私は、今日家で帰って、家族と楽しい会話をしながら、夕食を取り。そう、ブラックの横行する日本の会社で、私はもう高齢なので、まぁましな時間に帰宅できるので、家族と一緒にご飯を食べられる。眠くなったら寝て、朝が来れば起きて、顔を洗い、朝食を済ませて、歯を磨きます。時間が許せば新聞を読んで、会社に出勤。もちろん家を出るとき、ドアを開けますが、そこには必ず地面がある。いきなりそこが暗黒の宇宙空間だったことなんてありません。長い宇宙の歴史の中で、私のこの60年は、ごくわずかなサンプル時間にすぎませんが、そんなことはなかったし、今までもなかったはず。要は、この世には驚くべき法則らしきものがあるからです。
これはすごいことです。この世は決してランダムではない。ぜんぜん法則なんて把握できませんが、ようは起こったことを私は再現することはできませんが、安心することはできます。
そんな中に私はいて、今まで上に書いたことを意識しないときもある。そして、ただ楽しむことができる。決して予測を超えたことは起きない。わからないことを知ることを楽しみ、周りに起こることを楽しむ。コントロールできる範囲は限られていても、少しづつ広げて、楽しめる幅を広げていく。
人間ってそんなもの。そして、多くの人がいうように、ひとりで生まれたので、ひとりでいなくなるんですね。それまでの間、あるいはそれからどうなるのか、わからないけれど、自我が変わっていも今見ている世界と同じ世界に舞い降りそう。同じ世界でないとしても、その世界を知ればよい。
私って、宇宙。宇宙って私。限りがない?それ全部受け入れればよいのかな。
ではまた…..