イスラム国戦闘員が3万人を越えたらしい。
例の北大生ばかりでなく世界各地でイスラム国戦闘員への参加のための
渡航希望者が増えているとのこと。
しかも、思想的共鳴という理由ではなく、斬新性、強い印象、目的を持てない現状からの
脱出あるいは逃避を求めるという理由らしいということ。
私自身、このような衝動は全く共鳴はできません。
しかし、このような心理はわかる気がするのです。
社会というものは、先に生まれた人たちが作った掟に、無条件で生まれてきた人たちが、
半ば強制的にはめ込まれ、教育されます。「善し悪しは別として」。
既存社会を理解できれば、無難に過ごすのですが、
意味を見出せない、なじめない、違和感を感じる、
自分の価値が認められないなどの不満があると、
社会から逸脱しようと思う心理が生まれるのでしょう。
認められないが、認められないことを理解しつつ、
自分の正当性は感じているとか、
既存社会の掟を盲信している人たちに嫌気がさす、
マンネリズムにたまらなく不快感を感じるなど。
いつの時代にもあった逸脱です。
イスラム国礼賛に似た現象は「連合赤軍」事件を彷彿とさせます。
反社会感から、その背反性を持つ組織、活動への共鳴。
解決策として、とても困難な課題ですが、
既存社会の長所、短所、未完成な部分、そして目標の多様性と
それを互いに評価するような社会のリーダーたちの姿勢が必要です。
あらゆる課題に対峙する場合の客観性と主観のバランスと保つこと。
全く異なる主義主張を一旦受け止めることなく、反論することを控えるなどの
次元の高い対応が必要です。
北大生の問題の背後には、行動を誘導した教授がいたとか。
教育を受けた者が判断のバランスを崩しているわけであって、
こういう社会現象が最も危険です。
個が「存在すること」、「生存すること」、
そして、それと等しく、他の個が「存在すること」、「生存すること」が、
もっとも価値の高い、アプリオリな最高の掟として教育すべきです。
この掟をもとに、いくらでも宗教、思想の違いを論じればよい。
人類を宇宙史の中での絶滅種にするのは、
私には面白くありません。
何歳になっても「ユートピア」を実現させたい私がいます。
いつまで経っても駄目な人類!私は久しぶりに怒りを感じています。
とはいえ、何も貢献できない自分にもですが。