別に左の画像がテーマなのではありません。若干、かかわっただけの話。
「流れに乗ることが成功の秘訣」の続きです。
こんな例があります。
私が、パチンコをしたのは大学生のころ。あれから30年以上やっていない。
生涯成績は大勝です。
この一度の大勝以降、やっていないので。
ある映画を見たくて映画館についたら上映時間に遅れてしまい、
3時間待ち。いつもなら本屋で凌ぐのに、その横のパチンコ屋に。
普段から全くパチンコには興味がなく、確かそれまでに2度ぐらい友人に付き合った程度。
そのときは300円程度でですぐに玉はなくなり、なんて面白くないゲームなんだと思い、
それ以来やったことなし。
ただ、子供のころ読ん釘師の漫画が頭をよぎったのと、
その漫画の時代の大昔に比べ、その頃は電動パチンコになっていたので興味が湧いたのです。
2-3回、玉を継ぎ足して、台も2-3回替えた時、
大当たりになってしまい、出るわ出るわ!
その当時は、寮形式の下宿に5人で共同生活(今でいうシェアハウス)していたので、
皆に景品を分けてやろうと頑張ってしまい、映画の時間はとうに過ぎ、夕方までパチンコ。
そして、結局、映画は見られずあきらめ。大量の景品を両手に抱えて、下宿へ帰宅。
みんな大喜びというありさま。
私は、これは「流れに乗っていた」のだと思うのです。
たいていの人は、ただ「ついていただけ」と思うはずですが。
途中では、映画の時間に間に合わなくなるのであせりながら、
ここまできたら、「負ける気はしないし」、下宿の皆を喜ばせようという思いにそまり始め、
映画開始時間の5分前にも大当たり!
もう、方針変更せざるを得ず、「流れに乗ること」にしたのです。
「これはいける」と思ったのと、まるで強い興味もなく、偶然入ったパチンコ。
大勝するつもりもなく、本当に無欲の勝利。観ようと思った映画も見れず、くやしい思いさえある状況。
後で考えれば、結果として良かったこととは、このように起こるのではないかと思うのです。
そして、面白みに欠ける良い結果となるもののようです。
「ちょっと、やってみるか。あれ、うまく行っちゃった」という感じでしょうか。
逆に、必死で追い求め、結果が出ず、焦燥感に駆られるという図は、
よく経験します。
無理をするとやはり無理が通らないのです。
それでも、無理矢理通そうとすると、1瞬、うまくいったかのように見え、
結局、失敗に終わるのです。
無理やりとは、だれか知り合いの権力者に「権威やお金」を頼る。
暴力に訴えるなど。
到底その場の自分の力ではどうにもならないのに、
自分の力を越えた力に頼り、無理やり結果を自分の思う通りの方向に持っていくということ。
知り合いに権力者がいるのも、その人の器量。などと言い切る人もいますが、
その力量も評価されるべきですが、自身の力量とは、また違う能力です。
自分は顕在的には欲しないけれど、結果としてうまく行く重大イベントと、
強く欲して、力づくで得た結果、副作用とでも思えるほど、その後、
転落してしまうことがあります。
別に人間の定義した善悪で言っているのではありません。
おそらく、この両者を克服して、
「心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」
つまり、
自分の思うがままに行なっても,正道から外れない。
という格言のとおりになるのでしょう。