といっても、現地の食文化には違いないのですが、これは日本食の話です。
私自身、まだ世界の国々の約15%程度の国しか訪問していないとはいうものの、行く先々でいろいろな食文化に出会い、いろいろなものを食べてきました。その国の人たちがおいしいと言って常食しているもので食べられないものはありませんが、常に食べたくなるかというと、そのメニューは限定されます。
海外に出ない頃から、スパイスの利いた料理が大好きで、インドのカレー料理は自分で作っていました。アジア圏や赤道に近い国々では特に辛い料理が多いですね。
みなさんが気にする「ゲテ」の類はどうかというと、報道されているほど、現地でたくさん目にするものではありません。またメニューで選べるので、本当に気に入ったものでねければ口にする必要もありません。
仕事で日本から来た人と行動を共にする場合、どうしても現地の日本食を探すことになります。マレーシアでも例外ではなく、案内用には何軒かあたりをつけておく必要があります。
日本の不況のせいでしょうか、アジア圏の日本人派遣者の数は一昔前よりずっと減りました。またちらほら増え始めているものの、その人数に比して、どうしても日本食レストランは苦しめられているようです。
先日、「海宝丸」というKL近郊の日本食レストランに言ってきました。その時のランチメニューがこれです。
にぎりのセットですが、これで現地通貨で、42リンギット(税抜き)、日本円にして約1200円。税込にすれば約1500円。日本のランチセットで1.5人前ぐらいの量なので、ほぼ同じか、若干安いかもしれません。
味はと言えば、正直、「普段口にすることができないレベルの旨さ」でした。現地では一人ではあまり日本食は口にしないこと、日本に帰国するのは、1年か2年に一度なので、どんどん日本の事情は忘れていきますが、料亭の味には及ばないとしても、安いのにうまくなったといわれる、結構イケテル回転ずし(なんて今でもいうのかな)yほりは断然良い味でした。
実は気になることがあり、メニューの値段のところが修正されていて、透明のファイルシートの上から、修正価格が張り紙してありました。透明シートの中をのぞいたのですが、修正前の価格は、25%程度高いものでした。
最近、値下げしたわけです。客の入りの問題なのかな・・・・
マレーシア、いや一般的に海外での日本食は、日本での価格の1.5倍ぐらいするといわれています。食材を空輸する関係で、そうなります。現地で取れる材料で、ローカルの料理人が調理する場合、同じメニューの日本の値段より安いですが、一般的な外食メニュー同士で比較した場合、ローカルメニューの平均値より4倍ぐらい高いのが、日本食です。
日本で食べるのと同じクオリティを求めた場合、やはり輸入食材を使い、日本人が調理しなければならず、その場合、日本価格の1.5倍ということになるわけです。
その中で、上の写真のメニューは「あっぱれ!」と言えるものでした。
いまさらながらの話ですが、パソコンの普及は、個人史の中では比較的最近の出来事です。年齢がばれても構いませんので、あえていえば、ほとんどの家電製品は幼少期にはじめて世の中に出てきたものです。
さすがに、街頭TVで力道山を見ていた時代には生まれていません。
でもそれを知っている世代です。まぁ、半世紀以上は十分に生きているわけです。
TV、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、掃除機。これら家電製品は必要不可欠ですが、一昔前は電化製品と言っていたこれらの機器類が一般家庭に普及していない時代に生まれ、今では人間の月面着陸ももう30年以上前の出来事となり、今では、スマホを忘れて外出しようものなら、身動きできない時代に暮らしているのです。
しかも、それが当たり前で、まるで、数10年も前から常識であったかのように暮らしています。
でも時代の進みの早さをしみじみ感じることもあります。引っ越しなどで、DVDなどを整理していると、カセットテープなどが出てくることがあり、よほど思いの強いもの以外は捨てざるを得ません。PCの周辺機器では、フロッピーディスクディスクドライブなんてもう皆さん持っていませんよね。
人の半生の中でも、生活環境はめまぐるしく変化しています。
10年後の世界なんて、想像するのは難しすぎます。
でも、私は、自分が生まれる前の50年と、生まれてからの50年が変化のスピードが速いというようには簡単には言えません。時代を特徴づける目立つものは確かにめまぐるしく変化したとは想像できます。想像できる言うのは、どうしてもその時代に生きていないので、公平には比較できないからです。時代なりの変化は、いつの時代もかなりの変化と認識できるのではないでしょうか。
突然、話は変わりますが、もう折り返し点をとうにすぎた年齢になると、人の一生は長いようで短いと思うようになりました。とはいえ、自分自身はいつまでも若いまま、というより未熟者で、いつまでたっても泰然自若とすることなく、あくせくしているなと感じています。身体的には、いつの間にか腰が痛くなっていたり、疲れやすくなっていたり、記憶力が衰えたりと良いことはないのですが、年をとったという自覚は何故かありません。
ときどき考えます、昔の偉人達が活躍していた時代にタイムマシンで行けたら、とても面白いだろうと思います。でも、どのくらい昔が良いでしょうか。たとえば、イエス・キリストですが、西歴30年没と記録されています。2000年ぐらい、時間をさかのぼれば会えるわけです。
昔の人は子を産むのが早いでしょうから、簡単にするために20歳で子が生まれると考えると、100人過去にたどれば、キリストに会えるわけです。今は学校の1クラスの生徒数は少なくなったようですが、私は子供のころは1クラスに50人ぐらいいました。100人といえば、2クラス分の人数。これだけ過去にさかのぼれば、同じ時代に行けるのです。
これを大変な人数と考えるかどうかは、受け止める人次第なのですが、100人ぐらいなら、伝言ゲームで、伝える内容は確実に変化するはずですが、どこかで消えてなくなる人数ではありません。イエス・キリストがメッセージを発していて、それを忠実に伝言したら、100人後の私に伝わると考えると、大変興味深い話です。
人間の生きる時間のスケールと、人が一生の間に経験する時代の変化などを考えながら、意外に遠すぎる過去も身近に感じてしまうのは私だけでしょうか。