イスラム国って何でしょう。今までイスラム教国といういい方であれば、良く耳にしたし、イスラム教を宗教とする国なのかなと思いましたが、これは違います。イスラム国(Islamic State)とは、簡単に言えば、テロ集団の名称。ただ自分たちは、国家の名称としているようです。
イラクおよびシリアを拠点として活動するイスラム教スンニ派の組織「イラクとシャームのイスラーム国」(ISIS)が、2014年6月に国家樹立を宣言して国名とした呼び名として定義されるのですが、世界各国はこの「イスラム国」を国家として承認しておらず、実質的には「ISIS」に替わる組織・集団の新呼称として扱われているとのこと。
ただ、若干紛らわしい言い方なので、依然としてイスラム教国家を指す言葉として、用いている情報記事も見受けられます。これは簡単に文脈でわかります。
さて、このイスラム国ですが、アメリカ人ジャーナリストを殺害、日本人を拘束、住民の前で、毎週金曜日に公開処刑宣言し実行するなど、世界に向けた狂気的報道がエスカレートしています。
もう一昔より前の事件ですが、2001年の9.11アメリカ同時多発テロの首謀者である、オサマ・ビンラディンが率いたイスラムテロ組織、アルカイーダの流れをくむのがイスラム国。今回のエスカレートした蛮行も、彼らの公言する通り、USAを標的とする「聖戦」(ジハード)なのでしょう。
ISISは過激派武装勢力として、自爆テロなども含む過激な手段による都市への侵攻・制圧などの活動を続けています。結成は2000年代半ばに遡ることができますが、2010年代以降に顕著に勢力を強めてきています。2014年にイスラム国の樹立を宣言した時点で、ISISはシリアとイラクの都市・地域を点々と制圧しており、これら地域がイスラム国の領土として主張されています。
ISISが建国するとしたイスラム国は、カリフを指導者として戴き、「聖戦」(ジハード)を肯定し積極的に遂行する、イスラム教原理主義の体制を取っています。イスラム教原理主義とは、イスラム教の原点に回帰し、イスラム法に則った国家を建設する考え方ですが、客観的には、テロ強行もいとわないイスラム過激派集団の代名詞にも使われる場合があります。
以前 イスラムって何?で、若干紹介しましたが、イスラム教とは簡単にいえば、西暦600年代にマホメットが開祖として広めた宗教で、経典はコーラン(クルアーン)で、これはマホメット自身が神から受けた直接の言葉をアラビア語で記録したものとされています。キリスト教より、約600年後に誕生したことになりますが、両宗教は同じユダヤ教を起源としています。コーランには、イスラム教の根本的思想から、日常生活での禁止事項、推奨事項などが記されています。ただしコーランの解釈はさまざまで、同じイスラム教徒でも捉え方はそれぞれです。マホメット自身がイエスやその他の宗教の開祖とは異なり、いわゆる「奇蹟」を民衆に示したりはせず、戦いを率いるリーダーとしての才覚が、開祖として評価されていったようです。
キリスト教の場合、開祖イエスのことばにもあるように、「非暴力」ですが、イスラム教はそうではないようです。イスラム教では経典の中で、戦うことを肯定しており、異教徒と戦うことを聖戦(ジハード)として、勇敢な行為として評価しています。これは仏教やキリスト教徒比較して、もっとも異なる点です。イスラーム教徒の軍隊が異教徒の軍隊と合戦に及ぶ際には、イスラーム教徒の側は相手に改宗か、恭順か、それとも戦争かを選ばせる通告を行わなければならないとさています。
また、イスラム教の社会生活は、イスラム法によって統治されています。ただ、イスラム教徒が人口比率の多くを占めていても国教がイスラム教出ない場合は、イスラム教国とはいいません。トルコ マレーシア インドネシアなどは、イスラム教徒の人口比率は高いですが、国教はイスラム教ではありません。
イスラム教国以外の国家は、世俗主義(Secularism)による法治国家と呼ばれ、世俗主事とは、政策や政府機関が特定の宗教の影響から独立していなければならないという主張がある、あるいは宗教に特権的地位や財政上の優遇を与えない。政教分離原則。個人が宗教的規則や宗教教育から自由でいる権利、支配者による宗教の強制からの自由。信教の自由がある。人の行動や決断が(宗教の影響を受けていない)事実や証拠に基づいてなされるべきだと主張するなどがイスラム教国と異なります。