先日、KLの紀伊国屋書店で、「宇宙が始まる前には何があったのか」という本を買いました。日本に居る時は、休日、良く半日ぐらい書店で立ち読みをするのが週末の趣味でしたが、当時は気に入った本を簡単に買えたものの、海外に出てからは、日本の本は値段が1.5倍ぐらいするので、とても簡単には買えません。
物理学や数学系の「おもしろ本」には目が無いので、簡単に買えないのはとても苦しかったのですが、久しぶり買いました。子供のころに疑問を持ったテーマだったからです。
要は、宇宙は無から生じたのか、永遠の過去から存在していたのかというテーマ。専門領域まで達してはいなかったものの、多少とも物理学をかじった私から見て、この課題には結論がないことはうすうす感じていました。
「無」から生じたとしても、時間がなかったということをどう理解し納得すれば良いのか、永遠の「有」だったとしたら、それも納得するのは容易ではありません。
しかし、私という認識は、有限であり、少なくとも、自分という認識を持ったのは、生まれてから後のことであり、認識を持ったがゆえに、宇宙の始まりに悩まされなければならなくなったのです。
過去も未来も「永遠」らしき時間の中に、有限の認識時間を持つ私の存在にどうやっって「けり」をつけるかは、まだまだ続く課題です。
さて、この本のテーマはかくのごとしですが、実は、もっと議論しやすい近いテーマが隠れていました。
それは「無」とは何か?というテーマ。宇宙のビッグバン以前が「無」だとしたら、その「無」とはどう理解すべきかというテーマです。
物理学的な「無」は、ニュートン古典力学体系では、空間に物質が無いいわゆる真空は「無」でした。しかし、量子力学以降、物質の無い空間にもエネルギーがあるので、「無」とは言えません。
「無」とは「有」からその反対の状態を想像した架空の概念のような気がしてなりません。
エネルギーを「無」としてもよさそうですが、エネルギーすら無い「無」に意味が無ければ、やはり架空の概念だと思えてなりません。