続編です。
確かに、組織での生き方や仕事での対処に仕方は身に着けたので、
若い頃よりはいろいろな能力が身についたのでしょう。
だから、いろいろな問題に直面した場合の解決方法を後輩たちに伝授する立場になっているのだとは思います。
来る人、問いかける人は拒みはしません。
でもその前に、もう一度、就職前の状況に戻りたいと思います。
はっきり言って、大学を出て「何になるか」ということは、考えることがあっても結論が出たことはなかったです。
小学校の時に、「将来どうしているか」という先生の問に、どう答えたか思い出せば。
確か「将来、何になりたいか」という直接の問でなかったせいか、妙な答えを出しました。
みんなが、医者、先生、科学者、弁護士、警察官、小説家、スポーツ選手、音楽家など、
具体的な職業を挙げていたにもかかわらず、私は、「大気圏外に飛び出しているだろう」と応えました。
別に宇宙飛行士になりたいというわけではなかったと思います。
職業など全然思い浮かばなかったし、ずっと重力に抑えつけられているのも苦しい感じもしたし、
もっと幼い頃見た写真の中に、「タイタンから見た土星の出」という写真があり、
いつかあの光景を見てみたいと思っていたからかもしれません。
私は、こういう子供は別に妙だとは思いません。小学生の息子に問いかけても、
まだ具体的な将来の自分は描けていません。私の子供のころと同じように、
自己の存在の不思議などで語り合うのが好きです。
だから、親としては、子供の質問にはできる限り詳しく答えようとしています。
話は、時々相対論の話にもなります。小学生とて容赦はしません。
物理学、いや源流としての自然哲学は、もともと直観的なものであり、
真理を感じるに年齢は関係ないと思うからです。
私自身、時間と空間について詳しいことが知りたくて、
でも、自分で年齢不相応の書物を買うのは気が引けて、
「少年マガジン」の下に「アインシュタインの相対性理論」と
「時間と空間の物理学」を重ねて本屋のレジに出したことがあります。
私が、その頃、話したくてもできなかったこと、質問しても誰も答えてくれなかったことは、
約60年にもなろうとしている人生で学んだことは、なんでも教えてあげようと思います。
そして、自分を超えて欲しいとも考えます。
だから、仕事上の後輩にも同じで、仕事する以前に人間として持つ存在の疑問から、
とにかく生きるための仕事をこなす方法。社会の諸悪への批判など、
できる限りのことは自分なりの経験と能力で伝授しようと思います。
おっと、話がそれましたので、続きは次の記事でまた。