転職しようとして、よくヘッドハンターや斡旋サービス会社から言われたのは、
高年齢の求職者は、希少価値のある資格なり、
経験なりがある人が優遇されるということでした。
転職にあたり、年齢のハンデは何にもまして、厳しい壁です。
特殊技能とは何か。
実際に身についけた経験や技量では、
それを図るすべがありません。
経理なら会計士ですね。
外国語ならその資格。
それでも、英語などはもう、高齢者にとっては
優遇の対象ではないと思えます。
中国語ならまだ資格として良いかもしれませんが、
現地で長年、通訳を介して会社を運営してきたとしても、
やはり、1級レベルでないと、求人者の触手は動かないでしょう。
花形産業の設計技師も優遇度は高い。
製造業各種の工場設営に従事した経験などは、
これは公的資格として証明できるものはないので、
履歴書上の記載でも構わないでしょう。
ただ、高年齢でのリスク回避のためだけの、準備というのは、
稚拙なことです。
仕事には、人生の大半の時間をつぎ込みます。
ある意味では犠牲にする覚悟で臨まなければならない拘束でもあります。
もちろん、そうでないことが一番ですが、
なかなか天職を見つけるのは難しい現実があります。
意味のある、価値のある人生を歩むことと、
仕事とはそのバランスの最適化を図らねばなりません。
転職のリスク回避のために、常に神経を使うのはばかげたことです。
繰り返せば、社会に出る前の準備段階では予想することは難しいですが、
危機的状況化で、人気の高い産業の資格を持っていることが、
最高のリスク回避になります。
しかしこれは偶然性もあり、容易なことではありません。
振り返って、誰にでも可能性のある準備は、
それとなく自分自身を売り込むことと、
出会った相手や関連のある会社の求人情報などに触れておくことです。
売り込むなどというといやらしく聞こえますが、
正しく自分を評価してくれる相性の良い
仕事のパートナーに自分の需要度を認識してもらっておく
ということです。
不測の事態の時に、助けてもらうこともできるかもしれません。
その他のリスク回避方法は、
副業を持つことになります。
会社自体の安定性が揺らぐ日本社会で、
表立ってはいえないでしょうけれど、
もはや、副業は禁止するなどと言えるでしょうか。
TPOを確認してですが、
可能性があれば、拘束性の少ない
副業を始めておくとよいでしょう。
就職前に何がしたかったのかでした。
当時、学生運動が落ち着いた次期です。
「自由」がキーワードでした。
また「自由」を享受できないこともあり「自由からの逃走」という本なども
読書会のテーマにもなりました。
ジョンレノンの「イマジン」も流行りました。
平等なんて概念も資本主義に対抗する概念として議論されました。
人は平等でなければいけないのに、偶然に、搾取される側の労働者に生まれてしまった人たちから、
偶然に搾取する側の資本家に生まれてしまった人たちが、
労働者が仕事した結果を搾取する構造である「資本主義」がいけないのだ
という思想が学生たちには受けていた時代です。
対抗する考え方に「共産主義」がありました。
でも理想のしくみを強制的に作ろうとすると、うまくいきません。
わかりきっていたことですが、「資本主義」より「自由」が束縛されてしまいました。
資本家と労働者という概念よりも、会社側とサラリーマンと言い換えた方が、
わかりやすいでしょう。
社会とは自分が生まれる前に作られたものであり、生命体は生まれると自動的に有無を言わさず、
本人の承諾なしに社会に組み込まれます。生まれたばかりの頭では、
承諾するも何も判断力がないので仕方ないですが、とにかく社会に組み込まれ、
その中で生き延びる方法を学習させられます。
しかし、私の場合、大学を出るころになっても、社会のなんたるかはつかめず、
そこで、何ができるかすら不明でした。ただ、もっといろいろな謎を解きたい。
わからないことを理解したいという思いはありました。
そのために何をすれば一番適切なのかは不明でした。
とういわけで、生存しつづけることを選択しました。
その中で、一番容易な手段は「就職」だったのです。
理想に形から入る「共産主義」には同意できず。
といって、イマイチ理解できない本人たちは解放的とはいうものの
閉鎖的で宗教的なコミューン運動などはありましたが、
何のルールもない「自由」を求める者だけの社会など存在しない当時、
やはり「資本主義」下の会社生活に組み込まれるしかなかったのです。
それで、面接。何しに来たのかという会社の質問には、
とにかく「生き延びるために」という回答になったわけです。
人間として大正解のはずです。
もし、60代近い、もう会社生活のOBになろうとしている私が面接し、
こんなことを言う求職者が来たら、その場で河岸を変えて飲みに誘うかもしれません。
そして、とことん哲学論かな。
続く・・・
続編です。
確かに、組織での生き方や仕事での対処に仕方は身に着けたので、
若い頃よりはいろいろな能力が身についたのでしょう。
だから、いろいろな問題に直面した場合の解決方法を後輩たちに伝授する立場になっているのだとは思います。
来る人、問いかける人は拒みはしません。
でもその前に、もう一度、就職前の状況に戻りたいと思います。
はっきり言って、大学を出て「何になるか」ということは、考えることがあっても結論が出たことはなかったです。
小学校の時に、「将来どうしているか」という先生の問に、どう答えたか思い出せば。
確か「将来、何になりたいか」という直接の問でなかったせいか、妙な答えを出しました。
みんなが、医者、先生、科学者、弁護士、警察官、小説家、スポーツ選手、音楽家など、
具体的な職業を挙げていたにもかかわらず、私は、「大気圏外に飛び出しているだろう」と応えました。
別に宇宙飛行士になりたいというわけではなかったと思います。
職業など全然思い浮かばなかったし、ずっと重力に抑えつけられているのも苦しい感じもしたし、
もっと幼い頃見た写真の中に、「タイタンから見た土星の出」という写真があり、
いつかあの光景を見てみたいと思っていたからかもしれません。
私は、こういう子供は別に妙だとは思いません。小学生の息子に問いかけても、
まだ具体的な将来の自分は描けていません。私の子供のころと同じように、
自己の存在の不思議などで語り合うのが好きです。
だから、親としては、子供の質問にはできる限り詳しく答えようとしています。
話は、時々相対論の話にもなります。小学生とて容赦はしません。
物理学、いや源流としての自然哲学は、もともと直観的なものであり、
真理を感じるに年齢は関係ないと思うからです。
私自身、時間と空間について詳しいことが知りたくて、
でも、自分で年齢不相応の書物を買うのは気が引けて、
「少年マガジン」の下に「アインシュタインの相対性理論」と
「時間と空間の物理学」を重ねて本屋のレジに出したことがあります。
私が、その頃、話したくてもできなかったこと、質問しても誰も答えてくれなかったことは、
約60年にもなろうとしている人生で学んだことは、なんでも教えてあげようと思います。
そして、自分を超えて欲しいとも考えます。
だから、仕事上の後輩にも同じで、仕事する以前に人間として持つ存在の疑問から、
とにかく生きるための仕事をこなす方法。社会の諸悪への批判など、
できる限りのことは自分なりの経験と能力で伝授しようと思います。
おっと、話がそれましたので、続きは次の記事でまた。