このタイトルの人、誰でしょう。そう数学者です。19世紀最大の数学者の一人といわれています。
日本のニュースを見ていて、「全国学力テスト」についてのニュースでした。
それで、学校⇒勉強⇒数学?と連想したのです。最近、この手のニュースに疎くなってきていたので、最近の日本ってどうなっているんだろうと思ったのです。
大人になっても「学校」って何だったのかなと良く考えます。
ニュースを見て、知らないのも当然で、2007年から始まったそうで、この年には、日本から離れていましたので。
学校ってのは、社会生活を効率よく営むために、必要な知識を学ぶところです。少なくとも、義務教育はそうですね。これには異論がありません。今、教えられている教科の内容の是非は別として。
ただ、ここから先は意見が分かれます。純粋に学問が好きなので、行くところまで行きつきたいので勉強を続けるという人も居ます。
また、学校にはレベルというものがあって、わかりやすく言えば「偏差値」レベルでそ、その学校の水準が決められているため、一般的に就職時にはその偏差値なる基準の高い学校を卒業していると優位になるという考えが浸透しています。将来、無理のない、いや他の人よりも富裕な暮らしができるように、より高い報酬が安定的に得られる仕事に就くために、その資格を得るために、水準の高い学校を卒業することを目的とする人も居ます。特定の抜きんでた才能を自覚できていない人にはとても手堅い方法論です。
また、社会が決めた基準ではあるのですが、その既存の価値観によって定められた水準の高い環境に身を置くことにより、その時は気づいていないその後の将来をよりよいものにする確率を高めるために、蓋然的基準ではあるものの、その基準で篩にかけられた同種の人たちと触れ合うことにより、よりよい将来を期待して、ひとまず進学しようとする人もいます。
または、そのどれでもなく、学校や教科には全く興味が無く、義務教育を終えてすぐに、進学とは別の道に行く人も居ます。
以上、個人的に勝手に4種類に大別したのですが、私の知り合いは、3番目の人が多く、次に1番目、その次が2番目といった印象でした。学校で知り合う友人が多かったので、4番目はさすがに少なかったですね。
でも最近では、私の時代とは異なり、高校卒業後、専門技術を身につけるために、大学に行かず、自分の意思で自分に合った専門学校を見出しで受験したり、自分で見つけたその道の専門家に弟子入りするような人たちも増えてきているようです。これは4番目の道だと考えます。
そのようないろいろな道がありますが、いずれにせよ、ほとんどの人がその道具として身につける術の一つに数学があります。算数ですが、九九もその術のひとつですね。
道具のひとつとしての数学ですが、その発展に貢献した重要人物のひとりが「ガウス」です。
肖像画があります。
子供の頃から彼は神童ぶりを説明する逸話があります。小学校でのある時、1 から 100 までの数字すべてを足すように課題を出されました。それを彼は、1 + 100 = 101, 2 + 99 = 101, …, 50 + 51 = 101 となるので、答えは 101 × 50 = 5050 だ、と即座に解答して教師を驚かせました。
その後、15歳当時の彼は、一日15分ずつの予備の時間を当てて1000個ずつの自然数にそれぞれいくつの素数が現れるかを調べ、その次第に減っていく様子から、約100年後に証明されることになる素数定理を予想しました。
大学時代には、定規とコンパスによる正多角形の作図問題に対して、正17角形が作図できることを発見しました。それまで作図できる正素数角形は、古来から知られていた正三角形と正五角形のみだと考えられていたので、この発見により、作図できる正多角形の種類が増えたのは、約2000年ぶりだったとのことです。
そして、物理学でも貢献しており、磁束密度の単位はガウスとなっています。
これは懐かしい映像です。欧州に住んでいた時、良く財布の中に入っていました。10マルク札です。ガウスを生んだドイツの紙幣でしたが、今やドイツもEUに統合され、通貨もユーロが使われているので、この紙幣は使われていません。
老後、暇ができたら、学生の時中座した「数学」にちょっと取り組んでみようかなどと考えています。数学だけに絞ってしまいましたが、勉強というより純粋な学問は楽しむか、取り組むものです。道具として使うならそれでもいいですが、「受験のため、学力テストのため、就職のため」というのはさびしいですね。時代の要請なので仕方が無いし、否定はしませんが。
それから、学校についてですが、この世に中にどのような仕事、職業があって、自分はそのどれに一番適しているのかというガイダンスが貧弱だと思います。日本の学校制度を海外と比較して「平均化は良くない、偏った才能でを伸ばせ」とか「飛び級がなんでないの」という意見があります。日本がノーベル賞受賞者が欧米に比べて少ないのは、受身教育であり、創造性を育てないからだなどという意見があります。確かにそうだと思います。私も海外に出た当時はそう思いました。「創造性」を育むという考え方は正しいと思います。
しかしそれだけでは不十分で、自分の才能を伸ばせたとしたら、それを活かせる、社会に貢献できる、あるいは、そんなに大げさでなくても、自分だけでもいいし、家族だけでも良いので、十分に楽しめる仕事に就くことができる道を学校は示すべきだと思います。