ハタヨガの記事を書いたついてに、続けてマントラについて。マントラ(真言)とは、自分なりに解釈している意味では、目に見える手段では難局を切り抜けられないときに、自分を落ち着かせ、自分で気が付いていない解決法を見出す手段であると考えています。その効果的実践手法が、マントラヨガということになります。
マントラだけでなく、一般にヨガは、一般的には、「科学的手法」とは評価されていない方法です。通常は科学的手法を行使して、問題の解決にあたります。また、客観的対象に疑問がある場合、科学的手法でその対象を理解しようとします。これは人間の理性の作用として、基本的だと思います。しかし、科学で全てが解決するわけではありません。また、科学も進化の途上にあります。全てが把握しきれるわけではありません。
簡単な例で説明します。たとえば引力ですが、古典力学の世界では完璧なまでにその特性が明らかにされています。しかし、極端に小さな世界や大きな世界では、その世界の法則性を記述するには限界があり、理解するには量子論、相対論が必要となってきます。そして、この宇宙の事象すべてを説明はできません。また、引力が何故あるのかも誰にも説明できません。科学とはそのような方法論です。
宇宙が無から生じたのか、永遠の過去から何かが存在する世界であったのか、また時間に始まりがあったのか、ではその前の世界とは、など、科学者によりより詳しい迫り方は開拓されてきてはいるものの、まだ解明れていないのです。
マントラなどをはじめとする、科学的とは評価されていない手法が、効果的であるのか無いのか、科学的に証明することは、私は、不可能に近いと考えています、またそのように解明することに意味があるのか、さらに意味・無意味を問う姿勢に価値があるのかなどに私は価値を見出していません。科学的解明を進めることに異論はありませんが、あえていえば、価値ある姿勢は、それらの神秘手法の価値は、それを行使できた人が自分で評価し、再現性/因果性を身に付け自分なりの付き合い方ができれば良いと考えています。
前置きが長くなりました。
私自身、マントラに救われたことは何度もあります。
どちらかということ、本来平凡好きで、特殊な生き方は好まないと自分では考えているものの、いままでのところ、不思議に特殊な状況に置かれることの多い人生でした。平凡で安定を望む一方で、新しいことへの挑戦、問題解決への強すぎる興味が、ときどき私を危機に遭遇させたのだと思います。
そんな時、いつも唱えたのが、次のマントラ。
「オンコロコロセンダリマトウギソワカ、
ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・
ウンタラタ・カンマン、オンソラソバ テイエイソワカ」
解説しましょう。
まず、初めの句。
オンコロコロセンダリマトウギソワカ
Aum Huru Huru caNDaali maataGgi Svaha
これは薬師如来のマントラと言われます。
薬師如来はその名のごとく、治療・癒しにかかわる神です。
専門家によれば、このマントラは病気だけでなく、人間生活を豊かにして円満にするといわれています。
そして、次の句。
ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・
ウンタラタ・カンマン
namaH samanta vajraaNaaM,
caNDamahaaroSaNa sphoTaya huuM traT haaM maaM
これは不動明王のマントラ。
前途に立ちはだかる障害に対し、悠然と難事に立ち向かう勇気や、決断力をもって迷いを断ち切る力が
授かるといわれています。特に、この真言は、出世など仕事についての願いに効果的だそうです。
最後の句。
オンソラソバ テイエイソワカ
Aum Sarasvati Svaha
これは弁財天のマントラ。
「人々に弁才、無尽の智恵、財宝、延命を与え、さらに悪夢・邪気・呪術・鬼神などの
人を惑わすものどもを排除し、病苦や疾病、闘争などからも遠ざける」のに効果ありとのこと。
このマントラ以外に、ときどき唱えるのが次の光明真言
こんどはひらがなで書きます。
おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら
まに はんどま じんばら はらばりたや うん
すべての災難を取り望く最強の真言と言われています。
ここ一番の勝負時に唱えると良いでしょう。
マントラの効果として、ひとつ明らかなのは、自分の意識が目的に集中すること、
雑念が払えることがあります。また、音に委ねることによって無駄な緊張がほぐれます。
要は、良質のストレスのみに心身ともに統一する感じとなります。
さて、それではマントラが外側の世界にも影響を与え、唱えた者に有利な状況を提供するのでしょうか。
先のにべた「科学的」証明は私などにはできません。
この問題の認識の糸口は、「シンクロニシティ」にありそうです。
心理学者CGユンクの学説ですが、「ほぼ同時に起こった同じ意味をもつ事象の背景に、
因果関係がありそうな偶然」のことです。
有る友達のことが頭に浮かんだら、その人物から電話がかかってきたとか、
電車の中で、隣に立っている友人と、野球の話をしていて「イチロー」の名前を出したとたん、
前の席に座っている見知らぬ人が突然開いた新聞に「イチロー」の名前が出ていたなど。
シンクロニシティの価値を認めない人は、単なる偶然とする人や、実際には頻繁に起こっている事象同士の中で、印象深い意味を持っていたため強調して価値を見出したなどといいます。また価値を認める人の中には、ここぞとばかりにこれはテレパシーだ、幸運の糸口だといって価値を高めようとする人も居ます。
私が思うのは、その人に多くの価値ある情報は、TVの電磁波のようにたくさん降り注いでいるにもかかわらず、受信できる状態でない場合が多く、ごく稀に、意味ある情報を受信できる状態になるのではないかということです。シンクロニシティに驚いたという瞬間は、まさに意味ある情報を受信でき、それを自覚できた瞬間なのではないでしょうか。
そして、そのシンクロニシティ原理による受信状態の中で、その受信者の将来に価値のある情報をもたらす情報があるとしたら、そのような情報を受信し自覚できる機会を増やしていくれる手段のひとつがマントラなのではないかと考えます。
さきに述べたようにマントラによって、心身が良い緊急状態になることは、自覚できています。この状態が有益情報の受信状態を作るのではないかと考えます。
もちろん仮説です。仮設でも有益であれば利用価値がありますね。