普段、なるようになると考えている人でも、あるとき、とても深刻になります。
その時に周りの人が何を言っても、本人には、解決策など、その中にはなさそうにみえます。
問題にはおそらく二通りあり、ひとつは、自分を取り巻く環境を客観的に見ていない可能性があり、その中で、解決策をいまだに見出していないということ。
もうひとつは、その課題自体が問題点なのかどうか吟味していないということです。
このような問題に対処するには、科学ではどうにもなりません。
私は哲学や宗教の類だと思います。
分析というテーマと考えられるので、科学的手法が適用できそうですが、問題を解決する要素をすべて網羅できていない限り、解析はできません。限界があります。
物理学の手法では、1秒後の雲の形でさえ、正確には予測できません。形が変化するファクターが多すぎて、近似値しか求められないからです。
効果実証済みの宗教があれば、それで解決を図るのもいいですが、ここでは一般的な解法を採択したいので、やや宗教色がありますが、
「般若心経」の冒頭の句を用いたいと思います。
「五蘊皆空」という四字熟語があります。この読みは「ごうんかいくう」
無理やり簡単に解説すれば、
すべての心象は、5つの感覚器官から来た情報から発生したもので、ひとつひとつを見つめてみると、特にとらわれるようなことではない。
という意味になるようです。
このような解説を聞いて、
第一印象としては、
「すべてをあきらめることはできない」から困っているんだ。
「いきなり達観するなんて無理」という反応がほとんどでしょう。
私も、一部のことは、この考えで反省し、
だいぶ楽になりましたが、
「どうしても欲すること」「どうしても達成すべきこと」
そういう色気の中に生きることに意味があるんだという
考えも持ちます。
こう考えます。
紆余曲折の末、悩まなくて良いことで悩んだ、
無用の対象を追いかけて、無駄なことをした。
年を重ねれば、こんな考えも持ちます。
しかし、どう分析しても必要だったが得られなかったことも発見します。
だから必要な方法論とは、
良く考えて、その解決すべきことは必要なのか。
必要なら、それに至る(それを得る)手段を再考する。
まず問題をふるいにかけることです。