週末の終わりにSF談義などいかがでしょうか。
いつだったか、ヤフーオークションにタイムマシンが登場したことがあります。
1億円だったか1兆円だったか忘れましたが、もちろんすぐに消えました。
あんなものが出た時代もあったんですね。
見つけました、これです。
⇒タイムマシンのYahooオークション出典記録
およそ100兆円でした。
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「宇宙が始まる前には何があったのか」は、ローレンス・クラウス氏の著作です。英文の原題は、「A univerce from mothing」(宇宙は無から生まれた)という題名で、これは私にはただ事ではないテーマです。この本のタイトルは、以前の記事『「無」とは何か』で紹介しています。7月末ごろ購入し、読み始めたのですが、ようやく読み終わりました。難解な箇所を何度も読み返しました。
幼少時より、次の疑問に不意に襲われ、なんとなく自分から浮いたような恐怖を体験してきました。
宇宙はいつから存在するのか
宇宙がある時点から始まったとすれば、その前はどうなっていたのか、またそのことを解明できるのか
時間に始まりがあるのか、終わりがあるのか
時間が始まる前を問えるとすれば、時間の存在しない世界をどう想像すればよいのか
無から有が生まれるのか
無とはどう理解すればよいのか
などです。問いかけ自体も正しいかどうかもわからない問いなのです。
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いまさらながらの話ですが、パソコンの普及は、個人史の中では比較的最近の出来事です。年齢がばれても構いませんので、あえていえば、ほとんどの家電製品は幼少期にはじめて世の中に出てきたものです。
さすがに、街頭TVで力道山を見ていた時代には生まれていません。
でもそれを知っている世代です。まぁ、半世紀以上は十分に生きているわけです。
TV、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、掃除機。これら家電製品は必要不可欠ですが、一昔前は電化製品と言っていたこれらの機器類が一般家庭に普及していない時代に生まれ、今では人間の月面着陸ももう30年以上前の出来事となり、今では、スマホを忘れて外出しようものなら、身動きできない時代に暮らしているのです。
しかも、それが当たり前で、まるで、数10年も前から常識であったかのように暮らしています。
でも時代の進みの早さをしみじみ感じることもあります。引っ越しなどで、DVDなどを整理していると、カセットテープなどが出てくることがあり、よほど思いの強いもの以外は捨てざるを得ません。PCの周辺機器では、フロッピーディスクディスクドライブなんてもう皆さん持っていませんよね。
人の半生の中でも、生活環境はめまぐるしく変化しています。
10年後の世界なんて、想像するのは難しすぎます。
でも、私は、自分が生まれる前の50年と、生まれてからの50年が変化のスピードが速いというようには簡単には言えません。時代を特徴づける目立つものは確かにめまぐるしく変化したとは想像できます。想像できる言うのは、どうしてもその時代に生きていないので、公平には比較できないからです。時代なりの変化は、いつの時代もかなりの変化と認識できるのではないでしょうか。
突然、話は変わりますが、もう折り返し点をとうにすぎた年齢になると、人の一生は長いようで短いと思うようになりました。とはいえ、自分自身はいつまでも若いまま、というより未熟者で、いつまでたっても泰然自若とすることなく、あくせくしているなと感じています。身体的には、いつの間にか腰が痛くなっていたり、疲れやすくなっていたり、記憶力が衰えたりと良いことはないのですが、年をとったという自覚は何故かありません。
ときどき考えます、昔の偉人達が活躍していた時代にタイムマシンで行けたら、とても面白いだろうと思います。でも、どのくらい昔が良いでしょうか。たとえば、イエス・キリストですが、西歴30年没と記録されています。2000年ぐらい、時間をさかのぼれば会えるわけです。
昔の人は子を産むのが早いでしょうから、簡単にするために20歳で子が生まれると考えると、100人過去にたどれば、キリストに会えるわけです。今は学校の1クラスの生徒数は少なくなったようですが、私は子供のころは1クラスに50人ぐらいいました。100人といえば、2クラス分の人数。これだけ過去にさかのぼれば、同じ時代に行けるのです。
これを大変な人数と考えるかどうかは、受け止める人次第なのですが、100人ぐらいなら、伝言ゲームで、伝える内容は確実に変化するはずですが、どこかで消えてなくなる人数ではありません。イエス・キリストがメッセージを発していて、それを忠実に伝言したら、100人後の私に伝わると考えると、大変興味深い話です。
人間の生きる時間のスケールと、人が一生の間に経験する時代の変化などを考えながら、意外に遠すぎる過去も身近に感じてしまうのは私だけでしょうか。