週末の終わりにSF談義などいかがでしょうか。
いつだったか、ヤフーオークションにタイムマシンが登場したことがあります。
1億円だったか1兆円だったか忘れましたが、もちろんすぐに消えました。
あんなものが出た時代もあったんですね。
見つけました、これです。
⇒タイムマシンのYahooオークション出典記録
およそ100兆円でした。
さて、タイムマシンについての思いは、HGウェルズの著作以降、
もう古くなりましたが、有名な映画「バックトゥザヒューチャー」で、各種解釈が具体化されています。
1985年から1990年の間に、3作公開されました。
もう、事象そのものの実現可能性については、因果律から考えて、不可能に思えます。
ここで繰り返せば、過去にもどり過去の自分や親を殺してしまうと、
自己認識の主体たる自分がその場で消滅してしまうという考え方は容易に理解でき、
過去に影響を与えてしまえば、その後の変化はやむをえないとなります。
これは認識論的な考え方ですが、実際のところ、物理的解釈と、
人間の欲望としての解釈に言及することもできます。
物理的解釈は客観的理解であり、現在は多少のヒントが用意されています。
超ひも理論以前には、相対性理論の「光速」の概念から導出される結論「双子のパラドックス」に有名。
つまり、理論上「人は未来へは行けるが、過去へは行けない」。
これはプラス方向しか持たない一方通行の時間軸に、異なる進み方の個有時間が許されるからです。
しかし、未来を「見る」ことができない。一方通行ゆえに、行ったきり帰れない。
信号も同じであり、過去に戻れないので過去に居る信号の発信者に戻らず、未来の事象は認識できない。
では、過去についてはどうか。もし過去から未来旅行した人に会えれば、
その人物に過去の情報を聞けばよい。つまり理論上、過去の情報をつかむことは可能のよう。
とはいえ、過去にそのような科学力があるかどうか、いかにして欲しい情報に絞込み手にするかは難問。
超ひも理論によれば、「回転するブラックホール」さえコントロールできれば、
過去へもいける可能性があるが、因果律がどうなるのか、我々の宇宙はひとつなのかどうか等が問題。
物理的な課題は物理学者に任せておけばよいですね。
それよりも、タイムマシンに寄せる我々の「期待」を考えたい。
確かに未来に行き、現在に戻れば、一口に言って「なんでも可能になる」。
簡単な例では、賭けにも大勝ちするし、気に入らないものもすべて抹消できる。
タイムマシンが100兆円なんて安いものです。価値など付けられません。
しかし、果たしてそのような法則を、この宇宙は許容するのだろうかと考えてしまいます。
私にはそのことの方が、大変興味深いことです。
要はタイムマシンが完成すれば、人間は創造主に近い存在になります。
そうなった結果、どのような意識管理・倫理(要はメンタルケア)が必要なのか、
非常に大きなテーマですね。
またいつか、この続きを考えましょう。