「宇宙が始まる前には何があったのか」は、ローレンス・クラウス氏の著作です。英文の原題は、「A univerce from mothing」(宇宙は無から生まれた)という題名で、これは私にはただ事ではないテーマです。この本のタイトルは、以前の記事『「無」とは何か』で紹介しています。7月末ごろ購入し、読み始めたのですが、ようやく読み終わりました。難解な箇所を何度も読み返しました。
幼少時より、次の疑問に不意に襲われ、なんとなく自分から浮いたような恐怖を体験してきました。
宇宙はいつから存在するのか
宇宙がある時点から始まったとすれば、その前はどうなっていたのか、またそのことを解明できるのか
時間に始まりがあるのか、終わりがあるのか
時間が始まる前を問えるとすれば、時間の存在しない世界をどう想像すればよいのか
無から有が生まれるのか
無とはどう理解すればよいのか
などです。問いかけ自体も正しいかどうかもわからない問いなのです。
もともと不毛の疑問かも知れませんが、
わいてくる疑問なのでどうしようもありません。
10歳ぐらいに初めて経験したこの思い以降、50年余の人生の中で、
おそらく3回ぐらい、胸が締め付けられるに苦しくなり、周囲の何もかもが意味を失い、虚無感にさいなまれました。
恐らく、最後にその気持ちに襲えわれたのは、20代のころ。
それ以降は、幾分緩和しています。
さて、その後、なんとか自分で納得しようとしましたが、
若干、緩和させてくれたのが、「般若心経」ですね。
でも、読みの浅い私には、「無用で不毛な概念について悩むのはやめ、
いかにして何事にもとらわれず、気楽に幸せに生きるかに専心しなさい」
と言われているようで、それはそれで良いのですが、今度はその客観的な境地から、
この宇宙の謎を解明したいと考えてしまいます。
そこで、この著作、共感するところが多々ありました。
まず、科学で「why何故」を問うな「howどうなっているか」を解明するのが科学だ。という意見、良い意見です。また、方法論としての科学を自然な方法としてとらえているのが良いですね。気負いがない。ともすると、「科学が絶対だ」、「科学的アプローチなんだから正しいんだ」という意見が多すぎます。科学は、理性的に疑問を解決させる最も採択しやすい、わかりやすい方法だというのが正しいと思います。だから、「何故宇宙が存在するのか」は愚問となります。問いかけにも意味がないし、本人もその答えを望んでいない。でも、「宇宙がどのように存在するのか」は、大きな意味があり、これは科学的アプローチです。
科学より、事実が先行します。「無」から「有」が生じたらしい。でもそれは理性では受け止めがたい。しかし、それが事実と証明されれば、そこから新しいことを学ばねばならない。従来の科学者にはなかなか言えないことです。
また「無」の考え方を、堂々と反省することできるということは大発見でした。
時間の無い「無」、空間の無い「無」、時間も空間も無い「無」、エネルギーはある「無」、エネルギーも無い「無」。
では、それ以前あるいはそれ以外の「無」は?
と問いかけて良いし、これを彼は「どこまでも続く亀」といっています。
この本に出会い、少し安心しました。
大きな課題は、「量子論」と「重力理論」を合わせると、宇宙は無から生じたことになるということなのですが、その解明を自分で確認する力が、自分には今は無いということ。
小学校6年生のころ、70歳ぐらいまでには、土星の衛星「タイタン」に立ち、「土星の出」を見てみたいと思いましたが、それが実現するのが早いのか、この理論を理解するのが早いのか、どちらなのか、どちらも無理なのか、今の私にはまだわかりません。