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日本の本を買ってきました。KLに紀伊国屋という本屋があります。唯一ではないのでしょうけれど、マレーシアでは、ここに行けば日本の本が買えます。隣国のシンガポールやタイの方が、日本の本が買える本屋がもっとたくさんあるのですが、仕方ありません。

「宇宙が始まる前には何があったのか?」という題名。現地通貨で82リンギット、これは2600円相当です。日本での原価は、1600円ですから、1.6倍以上の値段です。それなりのコストがかかっているので、高いのは仕方ありませんが、こんな状況なので、そう簡単には日本の本は買えません。安い外食なら5リンギット程度で食べられるので、16食分、食費5日分以上の価値があるわけです。

でもあまりにも魅力的なテーマの本だったので、大決断をして買いました。宇宙初期の謎の解明というテーマは小学生の時から取り組んできて、いまだに納得できる解の無い「問い」なので。内容はこれから読みます。読後の感想文はまた後日。立ち読みレベルで興味をひかれたのは「無」の解釈。

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小学6年生の時、シュテインマンとう著者だっかたかな、「時間と空間の物理学」という本を恐る恐る買い、その中に、無の空間の古典的解釈があったのを記憶していますが、その解釈は、「なにも無い空間」という直感的にはとてもわかりやすい説明でした。でも、何もないとは言え、空間自体はあり、重力、電磁波などもそこを通過している空間なわけです、決して、無ではない。最近ではボソンが満ちているともいわれるし、空間を構成すること自体、無になりえないかもしれないのです。最近は、無という空想の世界を追求しながら、実は、それは永遠に定義が塗り替えられる世界であり、過去も未来も永遠の中での「有」なる世界の中での変化が宇宙なのか、しかしそれでは時間と永遠への無限性に対する疑問は解けないなどと考え始めていたので、ちょうど、このテーマと真っ向から勝負しているらしいこの本は久々に期待できる書物と思いました。

実はここに取り上げたのは、本題に言及する前に、この本の帯に、「種の起源に匹敵」と書いてあったことです。

種の起源といえば、ダーウィンの進化論ですが、私はずっと以前から、そう、進化論を教えられた時から信じられなかったのです。その後、しばらくして、コリンウィルソンの「オカルト」にも、共感すべき記述があったのですが、「偶然に生存に有利な遺伝性を持つ形質を獲得した個体が生き残り、その他は淘汰される」と言っていると解釈できうる進化論は信じがたい。というのは、偶然にしては出来すぎる特質を持つ個体が多すぎるからです。その個体の中での能力としては、進化しないとしても、より生存に有利な形質は、偶然ではなく、生存すべき意思の作用によって進化するのではないかと考えられるからです。一代限りの個体の中で獲得した生存に有利な形質が遺伝しなくても構いません。ラマルキズムが否定されるのは別に気にしませんが、生存性の高い形質を出現させる意思の有無は、研究されてよいのではないでしょうか。