仕事の世界ほど、人間の尊厳が冒され、平等性が崩れてる世界はありません。
なんて書くと、共産主義なのかなんて、40年前ぐらいには言われたかもしれません。
今の社会はそんな次元ではない。人の本性が「~主義」なんて、もうとうに崩れているし、何かを標榜して活動したところで、
本性のレベルどまり。
まぁ、その辺はいいとして、一番今、言いたいのは、人間がどれだけ、自由で平等になったのかということ。
仕事の世界で、どれだけ、人間の尊厳が保たれ、平等性が発揮されているかということ。
図る尺度、表現等考えると、ルドルフ・シュタイナーの「自由の哲学」が一番言い当てているかもしれません。
シュタイナーは、周囲に理解されなかった哲学者でした。
幼少時に妖精として世間に知られる波動現象を見てしまい、しばらくの間、周囲のみんなも同じように見えると思っていたそうで、
知覚能力がかなり高く、生涯、人に理解されなかった哲学者ではないかと私は思うのです。
共感したり、理解したという同時代の思想家を私だけかもしれませんが、私は知りません。
シュタイナー論は別の機会に論じるとして、
彼の著書「自由の哲学」の記述中に、魂の歴史なる考え方があって、
それによると、人間は大昔、殺戮と征服の時代は、
他人の魂と自分の魂が等しい価値を持ったものであることに、
気付いておらず征服に明け暮れていました。
その後、人間は、他人と自分が同じで得あることに気づき、平等なる概念を築きました。
ところが、たとえば、卑近な例では、IS(Islamic State)のように、
自分たちの主義主張の方が、人間の生命よりも上と考えていたりする組織があります。
彼らを批判する人たちもひとたび、自分たちが窮乏すれば、あるいはそのおそれだけで、
他のグループ(国家)を侵略する戦争を始めるのが人間です。
それよりも、国家が最高であり。それ以上の共同体世界は存在しないとほとんどの人が考えており、
おそらく、ほとんどの人は、国家解体、国境が無くなることがより自由で平等あることに気づいていないでしょう。
それと、いきなり感があるかもしれませんが、会社は同じなのです。
利益を追求する組織形態である以上、不平等は免れないと考えている経営者、
あるいは労働者ばかりです。
いつも理想は捨てなくてよいはず。
現状を理解し、それをどう克服するかを常に考えたい。
逃げたくないのです。理不尽な世界から。
それを勝ち取る方法が、他の記事でも書いた、
冷静に問題を見つめ、一見、開き直りにも見える、
真の強さで、尊厳を保ちながら、問題に直面する都度、解決策を探るのです。