これは、H・G・ウェルズの「The Invisible Man」(透明人間)の初版本(1897年)です。
透明人間といえば、やはり、H・G・ウェルズ。
H.G.ウエルズの透明人間は、自らが開発した薬品によって透明人間に変身した科学者が、
ロンドン郊外の村で巻き起こす数々の事件を描いた作品で、SF小説の古典として有名です。
透明人間は、古典的な映画やドラマ、漫画などがありますが、この本が原点です。
薬品によって人間が変身するというアイディアは、
スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』から得たものといわれ、
いずれの作品も人間の心にひそむ暗黒面を外見の変化というモチーフを用いて表している点で共通しています。
透明人間は、人に見られることなく、
行きたいところに行き、誰にも気づかれずに直接見たいもの見、
聞きたいものを聞けます。
さあ、あなたならどこへ行きますか。
何を見たいですか。何をしますか。
透明人間に似た概念として、
目に見えない存在として神や物の怪も描かますが、
それが手を触れられない物ならばそれも当然である。崇高な存在、或いは奇怪な存在は、
実体を持つものでありながら姿が見えない場合、それは透明になれるから、と言われることもあります。
たとえば、コロポックルや天狗は目に見えなくなることが出来て、それは隠れ蓑というものを利用しています。
したがって、これを奪えば姿が現れるし、人間がこれをかぶればまさしく透明人間になれます。
いずれにせよ、人間の透明人間に憧れる願望は強いと言えます。
透明人間の体ははどうなっているのでしょうか。
タバコを吸えば、煙が気管を通るのが見えます。
これは、どうやら肉体が変化して空気と屈折率が等しくなった状態であると推測されまず。
作品によっては光を回折させて透明になる、背景に合わせて服などが変色し、
カメレオンのように周囲に溶け込こむ、という設定のものもあります。
もっとも、可視波長で透明であっても、体温がある限り熱の輻射があるため、
赤外線で観測すれば透明人間というより、「人型の発光体」として写ることになります。
不可視化する技法として現実に研究されているのは、体表面での反射を工夫し存在感を隠す光学迷彩という手法でしょう。。
しかし、いずれにせよ、
物理的アプローチは容易ではなさそうです。
単純に透明な物質でありながら生命を維持したり、
光を通して認識する器官を持つことが不可能性を示唆します。
しかし、透明人間に寄せる思いは実現の可能性があります。
要は、透明人間への思いを解釈すると、
「自分の存在を認識されずに、
他人あるいは何らかの事象を観察したいという欲求」に帰着しそうです。
自分の肉体に頼らずに極小な機械に頼る方法もありそうです。
超小型CCDカメラを搭載した小型マシンで観察したい対象に近寄るという方法です。
そのボリュームや移動速度、センサーを逃れる方法等が課題になります。
この果てには、別のテーマとして挙げた、
タイムマシンや物質瞬間移動などの「空間掌握」といったテーマに共通の思いがあることがわかります。
さて、それでもやはり生身で観察対象に近寄りたいという場合は、
肉体修行に励むしかないでしょう。
ヨガ行者の中には同時に2つの場所に存在することができるという修行テーマがあります。
瞬時に移動つまり消失も可能なので、他に認識を許さないほどの速さで移動できればこの夢が実現します。
また仙道の修行者には、確か「養神」というエネルギー体を飛ばすことができるらしく認識したい対象に近づけます。
もっと卑近な例では幽体離脱があります。
体は寝ていても意識は異なるところに存在するという状態、
でもこれは生身とはいえませんね。
触覚を通した感覚情報を得たい場合はうまく行くかどうか不明です。
しかし、ここまで修行を積んだ人間が、
透明人間になりたかった欲望を満足させたいかどうか疑問ですが。