宇宙の果て
写真はリュウ座のキャッツアイ星雲

約130億年前にビッグバンで誕生したといわれるこの宇宙。

いや、「宇宙が始まる前には何があったのか(A Univerce from nothing)」の著者「ローレンス・クラウス」によれば、有効数字4桁で、137億2000万年前に誕生したらしい。

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宇宙の果てはいまだに光速に近いスピードで膨張しており、
その全体は閉じているといわれてきましたが、また平坦な立体という説も出ています。

ある人はその多次元的な意味での「外側?」に別の宇宙が存在するとも言います。

面白いけれど謎だらけの宇宙。

いくら科学が進歩してもその謎は深まるばかり。

しかしこの課題は有限と無限についての認識の問題に帰着できそうです。

要するに、「どのような結論であれば人間の認識として許容されるのか」という問題です。

すべての疑問にはその結果予想がありますが、当然、
それは誰も証明していませんので、
この宇宙の謎の課題のみ唯一結論を予想できないテーマなのかもしれませんが。

謎がなくなるのはむなしい一方、時間をかけて取り組むべきテーマです。

その中に存在するのもののために、我々の母である宇宙自体、永遠の謎を残しておいてくれたのかもしれません。

あるいは果てのない、解明すればまたゴールが遠のくという進化する謎なのかもしれません。

宗教的(仏教的)アプローチでは、禅問答にも良く見られますが、
「そんなことを考えるな」とでも言いたげです。

人間が取り組むべき課題は他にあると。
また、問題にすべきことは他にあるとも。
さらには問題に取り組む必要性を考え直せとも。

確かに、人間解決すべき問題は山ほどありますが、
疑問の解明に関して、そのテーマ選びには自由が欲しいもの。

宇宙の謎を考えながら「安心立命の境地」に到達することもできはず。
これでは悟りではないのかもしれませんが。

さて今日の課題は、宇宙の果て。

宇宙は平面でないといわれてきました。
昔、平面地球説なんてのがありましたが、そんなもの信じている人は今はいません。
しかも平面は2次元ですから。
では3次元の立体?

確かに3次元の立体ですが、
まっすぐ先へどんどん進んでいくと果てがない訳ではないんです。

また出発点に戻って来る。
と、言われています。

それは宇宙が曲がっているからなんです。
相対性理論を勉強した人には分かりますが、
重力で、空間が曲がるんです。

天体には、重力が満ち溢れているので、
宇宙自体が曲がっていることになります。

曲がり方は2種類予想され、
閉じるように曲がるか、開くように曲がるか。

物理学者の研究によれば、閉じるように曲がっているとのこと。

閉じていれば、まっすぐ進めば元に戻り、
開いていれば、もう戻ることはありません。

ただ、近年になってこの考え方も見直されてきました。
再び、「曲がりが無い」という仮説も出ています。

いずれにせよ、
私はこれで満足はしませんでした。

「宇宙の果て」の答えは出ても、
その問いの背後にある疑問は解けていないからなのです。

私はここでまた問いかけます。
ではその閉じている場合の宇宙の外側はどうなっているのか。
平坦な場合の外側についても。
さてまた研究を続けることになりますね。

さあ、あなたは宇宙の果てを解明したいですか。

いつも結論がでません。

今、我々の生きている宇宙は、先に書いたとおり、
137億年前ビッグバンが起こったとされています。

ビッグバン以前の宇宙には何が存在したのか。

アレキサンダー・ビレンスキー博士は、無の世界から突然有る大きさを持ったものが生まれ、
その結果ビッグバンが起こったということを量子論のトンネル効果で解説。

スチーブン・ホーキング博士は、虚数時間が実時間になったとしていますが、
これは理論上の可能性の話。光が生まれて後、観測できる宇宙が存在するようになったため、
光が存在する前の世界を推論すら困難なのです。

科学からはそれてしまうのものの、
キリスト教というより、その大本であるユダヤ教によれば、
旧約聖書の有名な句「するとそこに光が在った」となっているし、
仏教では、無から有が生まれたとなっており、
突き詰めると、無も有も同じというような解釈も成り立ちます。

認識する方法が生まれて後、認識できるようになった訳であり、
認識力を持たない時点の世界の認識ができないというような、
認識論の限界に突き当たってしまいますが、
それを越えた世界が存在していたのではないかという課題を考察する夢は残されるのです。

学生の時には、毎日こんなことを考えていましたが、
生活に追われる身となってからは、
とんとご無沙汰してしまっていたテーマです。
他に考えることがあるだろっ!
っていつも言われ続けて来ながらも、

この結論の出ないテーマに
時々襲われてしまいます。

やはり瞑想によって「ブラフマン」たる宇宙と「アートマン」たる私の意識同士を
一体化させることによってしか解明できないのでしょうか。

科学はとても便利な方法論なのですが、客観的な対象物しかとらえられません。
私の宇宙に対する疑問は、その客観対象をとらえる側の意識、つまり主観の課題なので。

みなさんはどう思いますか。

 

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