最近、ときどき気になること。
「その時は、来る」ということです。
それはどういう意味か。
うちの子は意外にそうではないですが、子供は、
予防注射を怖がったり、歯医者に行くのを怖がったりますね。
注射の日などは、結構前から決まっています。
3か月以上前から。
次第にその日が近づいてきます。
忘れようともします。
しかし、とうとうその日が来ます。
別の例。
小学生の頃、ハレーすい星接近やノストラダムスの大予言の話を読んで、
確かにその頃、まだ生きているだろうけれど、
計算すると、30~40歳になる時のイベントです。
小学生にとっては、はるかに未来。
時々、思い出したり、忘れたりしながら、どうなるのかと考えます。
具体的に確実にどうなるという情報ではないので、
なにかの目を見張るほどのことが起こるのだろうと思い、
待ちます。
そして、とうとう遠い未来のはずが、
「その時」が来ます。
これらはとおい将来の予定であり、
具体的に身近な痛みを伴うイベントではありません。
やはり、どう対処すべきかは、痛みを伴う日を迎えること。
大人になると、
言いにくいことを言うべき日や、
勇気をもって断行すべき仕事、
とても我慢できないことしなければならないこと、
秘密にしておくべきことの真実を告げなければならないこと
などに遭遇します。
できれば逃げたい。
たとえは良くないですが、
罪に問われて自白するような場面にも似ています。
逃亡者は捕まる時があります。
必ずではないですが。
そのような場面は、「その時」です。
「その時」は、必ず来ます。
このようなできれば避けたい「その時」をどう迎えるべきでしょうか。
逆に楽しみにしている「その時」は、
ここでは論じなくていい話。
問題は、突発的でなく、予測できること。
もうすでにほとんど決まっている、
避けたいイベントです。
今日、これから会う約束をしている。
「別れを言い出さなければならない」
あるいは「今日会えば、必ず別れを切り出される」
というような事態。
こんな事態をどう切り抜けるか。
それをこれから考えてみます。
とりあえず、この記事はここで止めておきます。
続編はまた別途。