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どこかで書いた気がしますが、1秒後の雲の形すら、人間は、予測できません。雲の形を決める要素をがあまりにも多く、統計的に特定もできなければ、もしその関数がわかってもせいぜい近似値です。もとより、1秒後の雲の形を知りたいというニーズはきわめて少ないので、このような試みはなされません。

では、もっと興味深いテーマはどうでしょうか。宝くじを予測する。為替レートの数字を予測する。経済の動き、政治の動きを予測するなど。どうすれば変動ファクターを明確化するかは、予想ができますが、網羅できはずもなくいまだにそのような予想はできません。

というように、世界の事象を予測することはできません。傾向はわかるでしょうけれど、利害が絡むことにその予想結果を使うことには、リスクがあります。

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さて、ここで、前の記事の続き。

人事を尽くして天命を待ち、やるべきことを尽くしたその結果は、いつ来るのか予測はできません。単純な結果、たとえば、仕事で契約が取れるかどうかを掛けて、精一杯のプレゼンをしたとして、その結果、契約が取れないことはありえます。

このような求める結果が明確な場合、その結果の評価は容易です。失敗に終わったということでしょうか。それでも、精一杯やれば悔いは残らないでしょう。

しかし、そのあとに、別の課題で良い結果がでることはあります。遅れて、別の契約が取れることも。そしてそれが、かなり大きな利益をもたらすことだったなど。そんな場合は、願った目的には届かなかったけれど、結果はうまくいったということになります。

目的に対し、誠実に希求し、祈りもささげた結果は、意外に時間が経ってから現れることもあります。

あせらず「待て」ば、良い結果が出ることもあります。

やはりここでも、「無理をしないこと」です。自然の流れに逆らって「無理」な願望成就法を使わないことです。その時達成する最良の結果は、先の記事に書いたように、冷静に分析し、正しいと思う結果を思い描き、積極的に熟考した結果、祈りをささげれば、あとは待つだけで期待した以上の結果が向こうからやってくるものだと思います。

あくまで経験的な意見ですが。