この記事、おそらくタイトルどおりにならないでしょう。
外れてしまうまでに、ひとつの動画をささげることにしましょう。
私の持ち歌(笑)、「Let it be」。1970年にビートルズのアルバムとしては最後に発表されたものです。ただし、この『レット・イット・ビー』の録音は1969年1月、そして『アビイ・ロード』が1969年7月に録音されているので、ビートルズの音楽的な歴史に終止符を打ったのが、『アビイ・ロード』ということだそうです。
このメインテーマたる「Let it be」は、この動画の中では、「なすがままにしておきなさい」と訳され、一部で、「そのままにしておきなさい」と訳されています。日本語にしてしまうと、そして、主語が何かで微妙に異なる意味になりますが、私は、なすがまま、そのまま、そして「あるがまま」にする「あるがまま」であれと言っているのだと思います。
この辺は、1968年頃、ビートルズが傾倒した「インド思想」に影響を受けているはずです。もちろん彼らはイギリス人ですから、もともとはクリスチャンです。その彼らが、ここまでの事を言い放ったのは、当時にしては凄いことでした。
ビートルズの音楽、思想、社会現象での歴史上の偉業は、全世界で知らない人はいないでしょう。ここでは、その共感できる思想にスポットを当てます。特に、人物的には、ジョン・レノンに特定して。1980年12月8日に凶弾に倒れ、40歳で全世界のファンに惜しまれてこの世を去った、あの人物。
ミュージシャンの与える影響には、思想家を生業とする人たちの主張とは異なり、かなり自由度と周囲の許容度はあります。その意味で、社会に対する顕在的、そして潜在的な影響力はものすごい効果があります。彼らの活動で、アジアのインド思想は日本へいわば逆輸入されました。「古いものを打ち破り、新しモノを作り出す、しかも暴力によらず実現させる」という考え方を当時の若者に自覚させました。そして、宗教とは何かを日本人に知らしめました。
ジョンは、1966年3月4日のインタビューで次のような発言をしました。
「キリスト教は消えてなくなるよ。そんなことを議論する必要はない。僕は正しいし、その正しさは証明される。僕らは今やイエスよりも人気がある。ロックン・ロールとキリスト教。そのどちらが先になくなるかは分からない。イエスは正しかったさ。だけど弟子達がバカな凡人だった。僕に言わせれば、奴らがキリスト教を捻じ曲げて滅ぼしたんだよ」
この発言は当然批判され、ジョンは次のように反省します。
「僕がもし、 “テレビがイエスより人気がある” と言ったなら、何事もなかったかもしれない。あの発言には後悔しているよ。僕は神に反対しないし、反キリストでもなければ反教会でもない。僕はそれを攻撃したわけでもなければ、貶めたわけでもない。僕はただ事実を話しただけで、実際アメリカよりイギリスではそうなんだ。僕はビートルズがイエスより良くて偉大だとは話してないし、イエスを人として僕らと比べたりもしていない。僕は僕が話したことは間違っていたと話したし、話したことは悪く取られた。そして今全てがこれさ」
そして、・・・・・。
事件から42年を経た2008年11月、ローマ教皇庁(ローマ法王庁)はジョンの発言を赦す声明を発表したそうです。「有名になった若者が豪語したに過ぎない」というローマ教皇庁の見解。これでけじめは付きました。
このジョンのインタビュー発言、すでにキリスト教を客観視しています。以前の記事「宇宙が始まる前には何があったのか」の中でローレンス・クラウス氏は、良く科学と宗教を比較します。「科学」で「宗教」を語ります。同じようにジョンは、「感性」で「宗教」を語っています。
日本人は不思議な民族で、一部の人を除き、宗教色を表にさらけ出す人はいません。多くの人は、決してそうではないんですが、「私は無宗教です」などどいいます。その癖に、お正月にはお参りするし、人生の節目の儀式には、宗教的イベントに関わります。悩み事があったら、神社に出向き「神頼み」します。何もないときは、「無宗教の人」なんですね。私もどちらかと言えば、強烈に信仰する既存の宗教はありません。ただ、自分の思想なり、「宗教をどう理解しているか」を話すことはできます。「宇宙の仕組みってこんななんじゃないかな」、「こんな法則に従って我々とその周囲の環境が存在しているのではないかな」ぐらいは話せますが、「神」がどうのとなると永遠にわかりそうもありません。だから、イエスがいわゆる「宇宙の理(ことわり)」の良き理解者で、その後継者が完全に理解せずに帰納的推論から、イエスの理解を広めたという意味で、ジョンの発言は私には理解しやすい発言なのです。私には釈迦(シッタルーダ)も、「良き理解者」だったと思います。3大宗教の中で、マホメットだけは、ちょっと違うなと思っているのですが(余談でした)。
日本人なら、ジョンの発言は容易にわかるのですが、クリスチャンがこの発言をすることはめったにないでしょう。
彼の典型的な思想は、この歌にあります。
そう、「イマジン」ですね。
1971年にシングル盤として世に出た、ジョンレノンのソロアルバムでした。
以下、全訳です。出典は=デイオフィスの音楽室=
Imagine there’s no Heaven It’s easy if you try No Hell below us Above us only sky Imagine all the people Living for today…Imagine there’s no countries It isn’t hard to do Nothing to kill or die for And no religion too Imagine all the people Living life in peaceYou may say I’m a dreamer But I’m not the only one I hope someday you’ll join us And the world will be as oneImagine no possessions I wonder if you can No need for greed or hunger A brotherhood of man Imagine all the people Sharing all the world You may say I’m a dreamer But I’m not the only one I hope someday you’ll join us And the world will live as one |
想像してごらん 天国なんて無いんだと ほら、簡単でしょう? 地面の下に地獄なんて無いし 僕たちの上には ただ空があるだけ さあ想像してごらん みんなが ただ今を生きているって…想像してごらん 国なんて無いんだと そんなに難しくないでしょう? 殺す理由も死ぬ理由も無く そして宗教も無い さあ想像してごらん みんなが ただ平和に生きているって…僕のことを夢想家だと言うかもしれないね でも僕一人じゃないはず いつかあなたもみんな仲間になって きっと世界はひとつになるんだ想像してごらん 何も所有しないって あなたなら出来ると思うよ 欲張ったり飢えることも無い 人はみんな兄弟なんだって 想像してごらん みんなが 世界を分かち合うんだって… 僕のことを夢想家だと言うかもしれないね でも僕一人じゃないはず いつかあなたもみんな仲間になって そして世界はきっとひとつになるんだ |
この歌ですが、ユートピア幻想、共産主義という批判もありました。しかし、この世の思想というものは、掲げた理想そのものが素晴らしいものでも、人間の力がそれを実践するに及ばない場合失敗します。「自由に生きる」、「平等」といった理想が素晴らしいのは誰もみとめるものの、それらの属性が、強制されたものや自分を脅迫して実現させようとしてもだめで、自然な発露から成るものでなければ失敗します。
「孔子」が、まさに彼が龍のようで捉えにくいと評した「老子」を想わせる言葉、「70にして心の欲するところに従って矩をこえず」を思い起こします。私はこれを「やりたい放題やって、楽しくてしょうがない状態」でいながら、「自然の理にかなっていて、なんら問題がない(周囲に悪影響が無い)」と解釈しています。
誰もが、「戦争」は嫌いなはず。「貧富の差」も嫌いなはず。でも存在してしまっている。それを恣意的に是正しようとするとかえって泥沼!それが今の地球なんですね。でも、かのルドルフシュタイナーの「自由の哲学」にあるように、人間は進化の歴史を歩みつつあるのではないか、いつの日か「イマジン」の世界が無理なく実現するのではないか、と私は思うのです。