説明のつかない効果、あるいは結末。
何が作用してうまくいったのかまったくわからない解決。
そんなことは稀ですが、長く生きていると、そういうことも経験します。
いくら祈っても結果が出なかったのに、窮地に陥り、祈る事も忘れ途方に暮れていたら、
ある瞬間、あっさりと解決してしまうというような奇跡。
もちろん頻度は多くありませんが、そんな経験があります。
たとえば、スイスの山で雪渓から滑り落ち、
下は千尋の谷、もうおしまいかと思った時。
思い切り、右手を雪の壁に差し込んだら、
ちょうど体を支えるのにちょうどよい深さで腕が刺さり、
滑るのがとまり、ゆっくりと雪の壁に穴をあけながら、両手で登りあがって、
九死に一生を得たことがあります。
単なる偶然か?そうかもしれませんが、
助かった私は、そうは思えません。
1か月も娘が咳の発作で、医者もさじを投げた状態。
近くの不動尊で、お札をもらい祈祷してもらったら、
2-3日で、全快。
これも偶然か?
50代後半、会社も倒産寸前で、もうやめるしかない。
しかし転職先は見つからない。給料ももう最後で、来月から出ない。
親戚に身を寄せ、家族一同疲労困憊。
4年間も転職活動していて、うまくいかなかったのに、
真に窮地に陥った瞬間、1年間も連絡のなかった遠い知人から電話。
しかもその2日後には、携帯も止められる状態。
その電話が、私の経歴を欲している会社があるとのこと。
そのあと、とんとん拍子で、進み、社長は
預金ゼロを見かねて、借家の敷金まで貸していくれるという奇跡。
もう説明が付きません。
偶然でも必然でも奇跡でも、その現象を表現するのは自由です。
ただ、起こった事象の効果がすごすぎるので、
ただひたすら、宇宙に感謝。
こういうことを経験すると、いろいろ言う人がいます。
超自然の力が働いたのか、
やはり神は窮地に陥った人を助けるのか、
など。
証明ができません。
証明する方法がないかもしれません。
このような現象に関しては、私なりの理解の仕方はありますが、
別の機会にまとめるとして、ここでは、とにかくこういう場合の簡単な考え方を紹介しておきます。
証明できない、証明する方法も見いだせない。自分にとって意味(価値)のある現象は目の前にある。
そんな場合、もし、もう一度体験したい場合、
再現性を得るに有効であろうと思える方法論を試すことです。
哲学者ウィリアムジェームズは、宗教的経験の諸相の中で、
たとえそれが宗教的な意味合いを持つものであっても、
その結果がその個人に有効であるならば、
(そして他人にマイナスの影響を与えない限り)
その方法論は有益である。と。
これがプラグマティズムのエッセンスです。
そういう観点から、私は過去の記事で、解説しています。
ガヤトリーマントラとサイババ
の中では、関係者の中ではかなり効果的と評されるマントラを紹介し、
科学的とはの中で、
その他の真言も含め、このようなその時点で証明する手段がなく、
有効と思える方法論に対する対処の仕方、かかわり方を解説しています。
もし自分に合わなければ、その方法は使わなければよいのですから。
たたし、一点、注意があります。
宗教その他、超常的な方法論に触れる場合、
次の2点があれば、即刻立ち去って下さい。
1.恐怖でしばりつける。
2.必要以上の金銭を要求する。
この二つの条件も守れば、安全です。
解説します。
1.恐怖でしばりつける。
一旦関わったら、何かを継続的にしなければかえって災いをもたらすというような、
離れられなくする条件のことです。
素晴らしい方法にはそんなネガティブな要素があってはなりません。
私たちを生んだ宇宙がそんな条件を課すわけがありません。
だから、いわゆる「幸福の手紙(逆説的に不幸の手紙とも呼ばれています)」は、
私は破り捨てます。
問題が来るなら来い、それが宇宙の法則なら、よく見極めてやる。
そしてそれは真なら法則化してあげようという思いがあります。
2.必要以上の金銭を要求する。
何かを提供するにはコストが発生します。お札であればその費用と工賃が。
それは、その製作者が生存するに足る最低限の費用、代価です。
時には無償提供もあるかもしれません。それは提供者の裁量です。
逆に必ず無償でなければならないとは思いません。
音声CDであれば、そのCDのコストは必要だからです。
必要以上の高額である場合、そのような方法論を流布するために
作られた組織の存続、営利性をも持っている可能性があります。
超常的方法論の流布に、そんなに費用はかかりません。
ひとつの仕事としてステイタスを得ても良いとは思いますが、
適正価値というものがあるはずなので。
その費用負担のために購入者がつらい思いをするのは、
本末転倒です。