一度学生の間で、神秘思想がはやった時代があります。80年代でしょうか。
当時、私もG.I.グルジェフの著作を読みこみましたが、
「ベルゼバブが孫に語った話」は難しいというか、意味不明の箇所もあり、理解できませんでした。結局、グルジェフの弟子とされるウスペンスキーの著作の力を借りて、その輪郭をつかんだものでした。
最近、興味深い映像を得ました。これです↓
もう傾倒してから30年、自分の中でも風化状態でしたが、ここにきて、このような映像を目にするとは驚きです。
これは恐怖の病名です。
致死率が90%に達するといわれてきたとんでもない伝染病です。でも最近の医療統計では70%。でも高いには違いない。
意識の中ではいままでアフリカの風土病であり感染者は外には拡大しないのではないかとして片づけていましたが、どうやらどうではないようです。
要は、西アフリカは今では容易に渡航できるわけで、アジア圏からも簡単に行き来できます。マレーシアの厚生省もついに警告を発しています。
今回広がった理由として、迷信による衛生観念の欠如が大きいといわれています。
「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ」という言葉は、キリストの教えとして有名ですが、最近このテーマについて知人を話したので、私の解釈というか、意見をまとめておきます。
この言葉を聞いたら、私の知る多くの人は次のようにいいました。
そんなことをしたら、ほとんどの場合、左の頬も打たれて、何の得もない。
確かにそうなんですが、真の意味を理解していないんですね。
この言葉をみんなが実践したら、みんなが幸せになるだろうということです。左の頬を打つ人はこれを実践していないので、話がそれ以上進まないのです。この言葉を解釈する、理解するというテーマからすでに外れています。
となれば、この言葉を実践することは極めて難しく、「全ての国家が一切の武器を放棄する」のと同じことだとは思います。
だから難しい。
どうすれば実践できるのかが、テーマなわけで、この言葉自体、基本原理であり、なんら批判されるべきものでもありません。実践できないあるいはしたくない我々人類に問題があるのだと思います。
以上、当たり前のことかもしれませんが、あまりにも皆が忘れてしまっていることのようで、あえて呟いてみました。
暫定措置はあるでしょうね。個人的には無類に強くなり、決して先手を打たない人になる。国家レベルでは、無類の防衛力を持ち、たとえば全ての攻撃から守るバリアを一瞬にして張れるなど。極めて精度の高いパトリオットミサイル(迎撃ミサイル)を持つのもよさそうですが、これでは有人の攻撃機の操縦士を殺傷してしまいますね。宜しくない。
でもこの考えは不完全です。相手を攻撃するものだと考えているし、どのようにして、攻撃をしない考えに自分から気付いてもらうという考えにかけています。
道は長いです。