土用の丑の日は、今年は、昨日、7/29だったんですね。海外に居ると疎くなりますが、この日には”うなぎ”を食べる習慣がありました。AEONのJascoなどでは、うなぎが売られています。海外に売られるうなぎは安くはありません。しかも日本産は空輸なので、かなり高いです。とはいえ、もちろん海外産、韓国や中国産のうなぎも売られています。

海外産のうなぎは一般的に堅い感じがします。

そう、去年日本に帰国したときに、とある牛丼屋の朝定のうなぎの舌触りに似ています。

決して悪いものではありませんでした。

食文化

マレーシアは、電車網がとても貧弱です。というより、東京と比べると、この国だけの話ではなく、ほぼどの都市も貧弱です。私など、東京の地下鉄など頭で諳んじて利用できません。誰もそうしていると思いますが、携帯で最短で行ける方法を確認して乗ります。覚えきれないほど、電車網が発達しているなんてことは、日本以外に、いや少なくとも私が降り立った、海外の都市にはありえません。

まぁ、全世界の15%しかまた行ったことが無いので、大半は想像ですが。

マレーシアは車社会なので、たいていは車で移動しますが、休日、渋滞がいやなので、ときどき電車を使います。首都KLl近郊から、KTMと呼ばれる電車でKLに向かいますが、1時間に、4-5本は有ると思いますが、たいてい予定時刻より到着が遅れます。

日本なら、遅れたら、「~分、遅れております。」とアナウンスが入ります。私はどちらの文化も受け入れています。時間に正確なのは、道具として大変便利です。予定が立てられ、その日の仕事の期待値算定を支える要素のひとつです。移動時間が読めない、仕事の終わる時間が読めないなどの要素に頻繁に出くわすと、仕事の期待値はどんどん下がります。

これが文化の差を生みます。良い悪いではありません。「文化の差」となるのです。期待値を裏切らない仕事の成果を残した結果、クオリティの高い文化を築けるのですが、その反面、余裕はなくなるようです。

期待されるクオリティの低い文化に身をさらしていると、余裕や許しが生まれます。

私は、両社の好ましい要素を融合させたいを考えています。クオリティの高さを称賛しながら、うまくいかない場合の許しという余裕を持った文化が理想です。そして、その果てには、高いクオリティそのものの評価基準も変わるかもしれませんし、レベルの高い中で余裕を持つ世界が現出されるのではないでしょうか。

明確には思い出せませせんが、昔、「人間を幸福にしない日本というシステム」という本がありました。日本の美徳を理解していないという批判もあったと思いますが、人間はやはり余裕を持つべきであり、その中で、完全という美しさを追求すべきだと思うのです。

アジアの中で期待される日本像とはそのようなものなのではないかな。

私は、まだまだ日本は、人間の生活を大切にしないという意味において、まだまだ遅れていると思うのです。

 



 

 

 

 

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冒頭いきなりですが、過去に「アポロ計画疑惑」が論じられたことがあります。ウィキの引用で恐縮ですが、良くまとまっているので、紹介します。「アポロ計画陰謀論」に詳しいので、興味のある方は眼を通されるとよいでしょう。

ここでは、その真偽を論じようというわけではありません。アポロ計画は1970年代を飾った快挙だと思うのですが、今はとんとそのような派手な宇宙開拓テーマが表には出てきません。とてもさびしい思いがあります。

当時、さまざまな思惑の中で、遂行された宇宙開拓テーマだったわけで、単純に宇宙に対する純粋な知識欲のみから発した計画ではなかったと思いますが、その後、太陽系内外に有人飛行するというような開拓計画は耳にしません。

人類はそれどころではないのでしょうけれど、人々の生きる目的の一つには、まず生活を支えながら、知識欲を満足させるというとらえ方があると思います。「生活を支え・・・」の点で、躓いている状態が平均的現状なのだと思います。

有る程度生活がうまく支えられたら、となりの星に行ってみたいと思いませんか。

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