人間いつまで仕事を続けるのか。
気が付いたら50代後半になり、今まで何をしてきたのか、
これから何をしたいのかを考えていたら、
就職の面接の時に答えたことばを思い出しました。
「どうしてこの会社を選びましたか。この会社で何をしたいですか。
何のために仕事をするのですか」
私は80年代初期に就職しています。
転職歴があるので、大学卒業後、初めての就職の時です。
皆、入社試験マニュアルや受験の備えたある程度の準備をしている中、
私は何も準備せず、しかも前の日に大酒を飲み、
おそらく酒のにおいが残ってるであろう風体で、
入社試験に臨みました。
しかも、あまりその会社のことを調べずに行ったので、
いわゆる会社側をほめるような文句も準備していません。
まず、何のために仕事するのか。
これには、「生きるためです。そう、食べるため」と応えました。
正しいはずと思い、堂々と。
試験官はもちろん顔をしかめます。
「そう、確かに。でも仕事をするのは、
それだけのためではありませんよね」
「そう、なんのために生きるのか、何のために仕事をするのか、
を探るためにはとにかく生き延びなければいけなので」と回答。
ここでこの質疑は終わり、
「では、会社を選んだ理由と、入社したら、何をしたいか、教えてください」
「募集要項を見て、今までやってきたジャンルと合うと思った。
理系の勉強はしたものの、机に向かって実験ばかりでは人間として偏るので、人と折衝し結論を導き出す仕事、そう営業を希望します」と私。
採用通知はおって知らせますということで終わりました。
なんかこう、ただ正直に対応しただけだけど、
客観的に反省すればこれは零点だなと思っていた矢先、
次の日に、総務部長面接に来てくれとのこと。
時間は昼時であり、総務部長(この部長は後に社長になる人物)と 差しで昼食。メニューは覚えています。エビピラフの大盛りでした。
簡単な質疑応答。
「趣味はなんですか」には「考えること。そう自分なりの哲学」
「何か誇れること、自信のあることは」には、「一見、気弱そうに見えるけれど、内に秘めた闘争心と、しつこさ」と回答。
それで入社試験はその場で合格しました。
その後、営業で3年ぐらいは新人として修行を積み、
その総務部長が社長に就任し辞めるまでの17年間、
その1社目を勤め上げました。
サラリーマンとは、どう生きるべきなのか、
営業とはどのような仕事なのかなどを学び、
その社長には、入社時は英語などまるでできない私を
自由に海外を飛び回れるように鍛え上げていただきました。
入社時、風変わりな新入社員も別の会社で、
取締役を務めることができるぐらいの器量を持てるよう
鍛えていただいたのです。
ただ、ここにきて思えば、
私自身の考え方は変わっていないのです。
もちろん幅ができたし、いろいろなことに対応はできます。
まるで、俳優のように。
でも本質は変わっていません。
内に秘めた闘争心やしつこさは変わりません。
「宇宙のこと。人間がなぜ存在するのか。目的は」など、
小学校4年生以来の疑問はいまだに解決がつかず、しつこく考えています。
ただ変わったのは、いろいろな局面での解決方法を会得したこと。
簡単なことでは驚かなくなったこと。むしろ、驚かせてほしいと思うようになったこと。相変わらず、仕事モードのスイッチが入らないと、自分から他人に話しかけることは稀ながらも、いろいろな性格の人に対応するスイッチを持つようになったことなどです。
ちょと、シビアな題名を挟みます。
ちょっと前に書きましたが、私自身、海外派遣の身でありながら、
不況のあおりでリストラに会いました。
しかも、年齢は50代後半!!
絶望的です。
と、周囲の皆が口をそろえて言いました。
なんで危機を察知して、事前に帰国するなり、
日本でも派遣先でも、口利きをしてもらうよう知人に頼まなかったのかとも言われました。
確かにその通りです。
来る時が来るまで、対策が打てませんでした。
そして年齢というハンデは、ものすごい壁です。
現地の人材紹介会社、ヘッドハンターたちも皆同意見。
あと10年若かったら、なんとでもなったのに。
ということ。
ネットで日本の転職サイトにも申し込んだのですが、
やはり、通り一遍の対応。
それでもスカイプ面接まで行ったこともありましたが、
やはり、海外経験者で。日本帰国者の方が優先されるのが現実。
確かに特殊技能があれば、もっと違っていたとは思います。
私の場合、海外子会社の社長という立場であり、
エンジニアは卒業済み。
年齢にかかわらず転職に有利な職種とは、
次のようなジャンルでしょうか。
タイトルに入れましたが、「技術者」では無理とは言い切れません。
しかし、希少価値の高い技術者でないと価値がありません。
経理、しかも海外法人の経理経験者
特殊工程の技術者
金型記述者
IT技術者
ISOコンサル、等
やはり専門業種で、組織の統括者とか、マネージャー、
管理者、ネゴシエイター、プランナー、営業企画等の職種は、
優れた人材でも、無冠の帝王であり、
目に見える資格ではないということです。
ヘッドハンターには理解はされます。
海外組織の統括経験者、営業、営業技術等の成功例を持つ
経験者は、経験の蓄積がモノを言うので、年齢に関係なく
いや、働ける体力があることが前提だが、
年齢が高いほど、評価されてよいと。
しかし、実際に、その資質を見抜くのは大変であるともいいます。
というわけで、生活を立て直すには時間がかかりました。
40代後半でした。あの当時、私の会社の置かれた業界は不況に見舞われました。
会社自体、中小というより小企業だったので、生き残るのに大変でした。
容赦なくリストラ、給与カット!
もうブラックと呼ばれようが、日本本社はなりふり構わず、
お構いなし。
海外では、労働者は法律に守られていますが、
どうやら日本は守られていない。
経済大国、先進国ということで、日本は国際的にステイタスが高い!はずっ、ですね。
残念ながら、私はそうは思わないのです。
特に欧州で暮らした経験があると、
違いに気づきます。
とにかく、40代後半で、あわや派遣現地でリストラという事態に。
そこで、考えました。
海外派遣の身で、現地で転職できるか?
これは非常に困難です。
そして不利!保証もない。
海外で仕事するには、会社はその個人を守らなければなりません。
各種保険(健康保険、雇用保険)、Visa、海外で効率的に仕事をするに安全な住居など。
このようなものは保証されねばなりません。
年金はかろうじて凍結処理になるので、
日本に住所がない限り、未払いという扱いにはなりません。
それらの保証が、一切カットされてしまったのです。
帰国しようにも、渡航費が出ません。
家族帯同なので、安い飛行機でも結構高額です。
さすがに、リストラといっても、
「個人雇用契約者として残す」ということになったため、
いくばくかの報酬は継続ということにはなりました。
さて、それから先は、今だから言える話であり、
しばらくの間、なんとかしのぎ、
命からがら帰国することになったのです。
結論から言えば、
海外派遣者が海外現地でリストラにあった場合、
転職は相当困難です。
インターネットでいろいろ斡旋会社ありますが、
高齢者には冷酷です。
仕事の能力よりも年齢なのです。
この辺のところ、おいおい綴っていきます。