就職前に何がしたかったのかでした。
当時、学生運動が落ち着いた次期です。
「自由」がキーワードでした。
また「自由」を享受できないこともあり「自由からの逃走」という本なども
読書会のテーマにもなりました。
ジョンレノンの「イマジン」も流行りました。
平等なんて概念も資本主義に対抗する概念として議論されました。
人は平等でなければいけないのに、偶然に、搾取される側の労働者に生まれてしまった人たちから、
偶然に搾取する側の資本家に生まれてしまった人たちが、
労働者が仕事した結果を搾取する構造である「資本主義」がいけないのだ
という思想が学生たちには受けていた時代です。
対抗する考え方に「共産主義」がありました。
でも理想のしくみを強制的に作ろうとすると、うまくいきません。
わかりきっていたことですが、「資本主義」より「自由」が束縛されてしまいました。
資本家と労働者という概念よりも、会社側とサラリーマンと言い換えた方が、
わかりやすいでしょう。
社会とは自分が生まれる前に作られたものであり、生命体は生まれると自動的に有無を言わさず、
本人の承諾なしに社会に組み込まれます。生まれたばかりの頭では、
承諾するも何も判断力がないので仕方ないですが、とにかく社会に組み込まれ、
その中で生き延びる方法を学習させられます。
しかし、私の場合、大学を出るころになっても、社会のなんたるかはつかめず、
そこで、何ができるかすら不明でした。ただ、もっといろいろな謎を解きたい。
わからないことを理解したいという思いはありました。
そのために何をすれば一番適切なのかは不明でした。
とういわけで、生存しつづけることを選択しました。
その中で、一番容易な手段は「就職」だったのです。
理想に形から入る「共産主義」には同意できず。
といって、イマイチ理解できない本人たちは解放的とはいうものの
閉鎖的で宗教的なコミューン運動などはありましたが、
何のルールもない「自由」を求める者だけの社会など存在しない当時、
やはり「資本主義」下の会社生活に組み込まれるしかなかったのです。
それで、面接。何しに来たのかという会社の質問には、
とにかく「生き延びるために」という回答になったわけです。
人間として大正解のはずです。
もし、60代近い、もう会社生活のOBになろうとしている私が面接し、
こんなことを言う求職者が来たら、その場で河岸を変えて飲みに誘うかもしれません。
そして、とことん哲学論かな。
続く・・・
続編です。
確かに、組織での生き方や仕事での対処に仕方は身に着けたので、
若い頃よりはいろいろな能力が身についたのでしょう。
だから、いろいろな問題に直面した場合の解決方法を後輩たちに伝授する立場になっているのだとは思います。
来る人、問いかける人は拒みはしません。
でもその前に、もう一度、就職前の状況に戻りたいと思います。
はっきり言って、大学を出て「何になるか」ということは、考えることがあっても結論が出たことはなかったです。
小学校の時に、「将来どうしているか」という先生の問に、どう答えたか思い出せば。
確か「将来、何になりたいか」という直接の問でなかったせいか、妙な答えを出しました。
みんなが、医者、先生、科学者、弁護士、警察官、小説家、スポーツ選手、音楽家など、
具体的な職業を挙げていたにもかかわらず、私は、「大気圏外に飛び出しているだろう」と応えました。
別に宇宙飛行士になりたいというわけではなかったと思います。
職業など全然思い浮かばなかったし、ずっと重力に抑えつけられているのも苦しい感じもしたし、
もっと幼い頃見た写真の中に、「タイタンから見た土星の出」という写真があり、
いつかあの光景を見てみたいと思っていたからかもしれません。
私は、こういう子供は別に妙だとは思いません。小学生の息子に問いかけても、
まだ具体的な将来の自分は描けていません。私の子供のころと同じように、
自己の存在の不思議などで語り合うのが好きです。
だから、親としては、子供の質問にはできる限り詳しく答えようとしています。
話は、時々相対論の話にもなります。小学生とて容赦はしません。
物理学、いや源流としての自然哲学は、もともと直観的なものであり、
真理を感じるに年齢は関係ないと思うからです。
私自身、時間と空間について詳しいことが知りたくて、
でも、自分で年齢不相応の書物を買うのは気が引けて、
「少年マガジン」の下に「アインシュタインの相対性理論」と
「時間と空間の物理学」を重ねて本屋のレジに出したことがあります。
私が、その頃、話したくてもできなかったこと、質問しても誰も答えてくれなかったことは、
約60年にもなろうとしている人生で学んだことは、なんでも教えてあげようと思います。
そして、自分を超えて欲しいとも考えます。
だから、仕事上の後輩にも同じで、仕事する以前に人間として持つ存在の疑問から、
とにかく生きるための仕事をこなす方法。社会の諸悪への批判など、
できる限りのことは自分なりの経験と能力で伝授しようと思います。
おっと、話がそれましたので、続きは次の記事でまた。
人間いつまで仕事を続けるのか。
気が付いたら50代後半になり、今まで何をしてきたのか、
これから何をしたいのかを考えていたら、
就職の面接の時に答えたことばを思い出しました。
「どうしてこの会社を選びましたか。この会社で何をしたいですか。
何のために仕事をするのですか」
私は80年代初期に就職しています。
転職歴があるので、大学卒業後、初めての就職の時です。
皆、入社試験マニュアルや受験の備えたある程度の準備をしている中、
私は何も準備せず、しかも前の日に大酒を飲み、
おそらく酒のにおいが残ってるであろう風体で、
入社試験に臨みました。
しかも、あまりその会社のことを調べずに行ったので、
いわゆる会社側をほめるような文句も準備していません。
まず、何のために仕事するのか。
これには、「生きるためです。そう、食べるため」と応えました。
正しいはずと思い、堂々と。
試験官はもちろん顔をしかめます。
「そう、確かに。でも仕事をするのは、
それだけのためではありませんよね」
「そう、なんのために生きるのか、何のために仕事をするのか、
を探るためにはとにかく生き延びなければいけなので」と回答。
ここでこの質疑は終わり、
「では、会社を選んだ理由と、入社したら、何をしたいか、教えてください」
「募集要項を見て、今までやってきたジャンルと合うと思った。
理系の勉強はしたものの、机に向かって実験ばかりでは人間として偏るので、人と折衝し結論を導き出す仕事、そう営業を希望します」と私。
採用通知はおって知らせますということで終わりました。
なんかこう、ただ正直に対応しただけだけど、
客観的に反省すればこれは零点だなと思っていた矢先、
次の日に、総務部長面接に来てくれとのこと。
時間は昼時であり、総務部長(この部長は後に社長になる人物)と 差しで昼食。メニューは覚えています。エビピラフの大盛りでした。
簡単な質疑応答。
「趣味はなんですか」には「考えること。そう自分なりの哲学」
「何か誇れること、自信のあることは」には、「一見、気弱そうに見えるけれど、内に秘めた闘争心と、しつこさ」と回答。
それで入社試験はその場で合格しました。
その後、営業で3年ぐらいは新人として修行を積み、
その総務部長が社長に就任し辞めるまでの17年間、
その1社目を勤め上げました。
サラリーマンとは、どう生きるべきなのか、
営業とはどのような仕事なのかなどを学び、
その社長には、入社時は英語などまるでできない私を
自由に海外を飛び回れるように鍛え上げていただきました。
入社時、風変わりな新入社員も別の会社で、
取締役を務めることができるぐらいの器量を持てるよう
鍛えていただいたのです。
ただ、ここにきて思えば、
私自身の考え方は変わっていないのです。
もちろん幅ができたし、いろいろなことに対応はできます。
まるで、俳優のように。
でも本質は変わっていません。
内に秘めた闘争心やしつこさは変わりません。
「宇宙のこと。人間がなぜ存在するのか。目的は」など、
小学校4年生以来の疑問はいまだに解決がつかず、しつこく考えています。
ただ変わったのは、いろいろな局面での解決方法を会得したこと。
簡単なことでは驚かなくなったこと。むしろ、驚かせてほしいと思うようになったこと。相変わらず、仕事モードのスイッチが入らないと、自分から他人に話しかけることは稀ながらも、いろいろな性格の人に対応するスイッチを持つようになったことなどです。