最近、日本では写経がブームとか。
「般若心経」という経典ですが、学生時代に、バグワン・シュリ・ラジネーシの
解説した本で、有る程度理解した気になっていて、それから2、3度、一般解説本を
手に取った程度でした。
このブログでときどき出てくるテーマに「宇宙の始まりと終わり」の問題があります。
この問題に一石を投じるのが、この経典のメインテーマ、「空」の概念。
手元に一冊の本、「超訳 般若心経」という本があります。苫米地英人(とまべちひでと)氏の著作。
実は引っ越しの時、積んどいた本を整理して、廃棄するかどうか迷った結果、生き残った本でした。
古本としての値札があり、15リンギット(約500円)。でも2011年の発刊ですから、そう古くは無い。
著者の苫米地氏は、宗教で洗脳された人を社会復帰させることで有名になった人のようです。
特徴的だったのが、まず般若心経は、中国で作られたという説。まあ、中身が価値のあるものなら、どこで作られようが良いと思います。そして、自分なりの仮説で、お経の頻出語たる「無」の、かなりの部分を「空」に書き換えてしまいます。
しかし、結構、その修正によって、全体の意味が明白になってきて、
少なくとも私には、それまでの「空」解釈の疑問が氷解しました。
奇しくも、これもこのブログに良く出てくるローレンス・クラウスの「無から宇宙が生じた」という時の、
「無」の意味に近いと感じたのです。
要するに「空」とは、「存在するものは、そのまま変化せず有り続けるわけではなく、無くなることも無い。」
という意味があり、英訳すれば従来「emptiness」と訳されていたのが「fullness」の方が正しいと彼は言います。
確かに「空」は、適切な訳などできないと思いますが、「空」は変化しつつ眼の前に満ちているものという感じがします。
となると、宇宙は「無」ではなく「空」から生じて「空」のままある。
さらには、宇宙は、どこからの生じることなく、常に「空」であるともいえます。
そうなると、私の幼少時からの悩みのひとつ、「宇宙のはじまりは?」の回答を得た気がします。
そして「自意識」も「空」であり、その永遠性も見えた気がします。
「空」の概念によれば、宇宙ははじまることも無く終わることもないし、それを気に病むことも無いわけす。
その理解と、ドラマティックな「ビッグバン」と宇宙年齢を特定する物理学との間に矛盾があるのでしょうか。
「空」は「変化」と相性の良い概念。ビッグバンも永遠の中のイベントなのかもしれません。物質世界という「色」の性質を掘り下げる物理学も数学同様「不完全」であり、「色」世界を永遠に究明し続けそうです。
いずれ、「空」と「ビッグバン」の無矛盾が、今よりは明確にわかる時が来るでしょう。
さて、般若心経の価値とは、私は正しい「認識論」と「その実践法」だと思います。
仏教用語を理解することでわかってきます。
色とは、物質/肉体を意味ます。物理学の観測対象。
一方、人の心には次の特性があります。
受(感覚) 楽しい/苦しいという感覚
想(感情) 好き/嫌いという感情
行(意志) 行動を起こす意志
識(認識) わかること、理解すること
この「色・受・想・行・識」を五蘊といい、般若心経で冒頭から、「五蘊は空だ!」と言い切られてしまいます。
まず「六境」。これは苦楽の原因、我々を一喜一憂させる外界の情報です。
「色・声・香・味・触・法」の6種類。
色 色/形
声 声/音
香 香り/匂い
味 味
触 触覚
法 心で知覚するもの
次は「六根」です。
これは、上記の「六境」と言うう対象物を把握する感覚器官と心を意味し、
「眼・耳・鼻・舌・身・意」の6種類。最初の5つは5感のための感覚器官。「意」は心です。
次に「六識」。
「六根」によって取りこまれた情報によって作られた認識のこと。
「眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識」となります。
まぁ、さわりだけですが、人は常時変化する外界の情報によって、
一喜一憂する。その得られた情報だけがその人にとって、その時の真実であり、
分析することによって、その認識は異なってくる。つまり、真実は都度変わりうる。
般若心経は、そのことを理解し、とらわれから解放されなさいという教えのようです。
我々の知っている限り、釈迦が「空」の説法者なわけで、般若心経が「空」を説いているならば、
中国産であろうと、般若心経は釈迦の作、あるいは釈迦の弟子の記録と言ってもよいわけです。
瞑想と中庸によって、無駄なとらわれから自分を解放し、変化し続ける良い流れに、
自分も変化しつつ乗りながら幸福を追求しなさいということですね。
今まで、般若心経といえば、全てが「無」なので、欲望に「とらわれないこと」ばかりが強調され、
禁欲主義か虚無主義なのか、それを高邁なこととするため近づきがたいものと考え、
実践するなどあきらめの境地でしたが、今、ぐっと近づいた気がします。
さらに、最後にはマントラがあります。
「空」を理解し、日常生活の実践に活かすために気持ちを集中させる効果のある言葉。
言葉の音そのものにも、良い作用があるのこと。
この句。
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか
がマントラ。この「はらそうぎゃてい」までのところは中国語はもちろん
サンスクリットにもないそうで、苫米地氏は、シュメール語だと提唱しています。
シュメール語とは、我々の知る限り、最古の文明「メソポタミア」の言語。
実は日本語のルーツとも言われているようです。