2015年6月の記事一覧

まだまだ自信があるのに、チャンスがない、コネがない。
ただ、高齢というだけで、会社にまだまだ貢献できるはずなのに、
採用されない。まだ体力はあるし、頭も大丈夫という人たちにいいたいことを
まとめます。

確認ですが、自信がなくてはその対象外です。

まだまだやりたいし、やれるのに理解されず悔しい思いをしているとうのが前提です。

求められる能力の筆頭は、問題解決能力。
若手にない経験がモノを言います。
若手の創意工夫も効果的とは思いますが、
高齢者には周囲がさんざん悩んでいる問題も、
過去の経験から鼻歌交じりに解決できることさえあります。

もちろん、体力、頭の回転のスピードには衰えがあるかもしれませんが、
無用なことをしない、うまい手の抜き方も心得ている50代には、
周囲のエリートもかなわないでしょう。

次は、専門能力を持った人たちを束ねること。
50代ともなれば、自分の専門領域の仕事ばかりでなく、
いろいろな局面で、その道のプロの手腕を見てきているはず。
当然、畑違いの仕事のプロ同様のことは、
見よう見まねでは容易にはできませんが、
仕事のインプットをアウトプットに変換するブラックボックスの機能を
たくさん目の当たりにしているでしょう。

その時の結果を使い、専門の能力者たちを束ねるのです。

専門家は、その専門能力を評価してあげれば、
やる気も増します。そして、その彼の得意でない分野の
ブラックボックス機能をさわりだけでも応用して結果を示せば、
彼はあなたに一目置くでしょう。
それで信頼関係が築けます。

そのような方法論は、採用後のパートナーとうまくやる
秘訣のようなものなのですが、実際、面接までたどり着いたら、
問題解決やプロジェクトの成功例を示すことは、
とても有効な手段です。

ビジネス

転職しようとして、よくヘッドハンターや斡旋サービス会社から言われたのは、
高年齢の求職者は、希少価値のある資格なり、
経験なりがある人が優遇されるということでした。

転職にあたり、年齢のハンデは何にもまして、厳しい壁です。

特殊技能とは何か。
実際に身についけた経験や技量では、
それを図るすべがありません。

経理なら会計士ですね。

外国語ならその資格。
それでも、英語などはもう、高齢者にとっては
優遇の対象ではないと思えます。

中国語ならまだ資格として良いかもしれませんが、
現地で長年、通訳を介して会社を運営してきたとしても、
やはり、1級レベルでないと、求人者の触手は動かないでしょう。

花形産業の設計技師も優遇度は高い。

製造業各種の工場設営に従事した経験などは、
これは公的資格として証明できるものはないので、
履歴書上の記載でも構わないでしょう。

ただ、高年齢でのリスク回避のためだけの、準備というのは、
稚拙なことです。

仕事には、人生の大半の時間をつぎ込みます。
ある意味では犠牲にする覚悟で臨まなければならない拘束でもあります。

もちろん、そうでないことが一番ですが、
なかなか天職を見つけるのは難しい現実があります。

意味のある、価値のある人生を歩むことと、
仕事とはそのバランスの最適化を図らねばなりません。

転職のリスク回避のために、常に神経を使うのはばかげたことです。

繰り返せば、社会に出る前の準備段階では予想することは難しいですが、
危機的状況化で、人気の高い産業の資格を持っていることが、
最高のリスク回避になります。

しかしこれは偶然性もあり、容易なことではありません。

振り返って、誰にでも可能性のある準備は、
それとなく自分自身を売り込むことと、
出会った相手や関連のある会社の求人情報などに触れておくことです。

売り込むなどというといやらしく聞こえますが、
正しく自分を評価してくれる相性の良い
仕事のパートナーに自分の需要度を認識してもらっておく
ということです。

不測の事態の時に、助けてもらうこともできるかもしれません。

その他のリスク回避方法は、
副業を持つことになります。

会社自体の安定性が揺らぐ日本社会で、
表立ってはいえないでしょうけれど、
もはや、副業は禁止するなどと言えるでしょうか。

TPOを確認してですが、
可能性があれば、拘束性の少ない
副業を始めておくとよいでしょう。

ビジネス

就職前に何がしたかったのかでした。

当時、学生運動が落ち着いた次期です。
「自由」がキーワードでした。

また「自由」を享受できないこともあり「自由からの逃走」という本なども
読書会のテーマにもなりました。
ジョンレノンの「イマジン」も流行りました。

平等なんて概念も資本主義に対抗する概念として議論されました。

人は平等でなければいけないのに、偶然に、搾取される側の労働者に生まれてしまった人たちから、
偶然に搾取する側の資本家に生まれてしまった人たちが、
労働者が仕事した結果を搾取する構造である「資本主義」がいけないのだ
という思想が学生たちには受けていた時代です。

対抗する考え方に「共産主義」がありました。
でも理想のしくみを強制的に作ろうとすると、うまくいきません。
わかりきっていたことですが、「資本主義」より「自由」が束縛されてしまいました。

資本家と労働者という概念よりも、会社側とサラリーマンと言い換えた方が、
わかりやすいでしょう。

社会とは自分が生まれる前に作られたものであり、生命体は生まれると自動的に有無を言わさず、
本人の承諾なしに社会に組み込まれます。生まれたばかりの頭では、
承諾するも何も判断力がないので仕方ないですが、とにかく社会に組み込まれ、
その中で生き延びる方法を学習させられます。

しかし、私の場合、大学を出るころになっても、社会のなんたるかはつかめず、
そこで、何ができるかすら不明でした。ただ、もっといろいろな謎を解きたい。
わからないことを理解したいという思いはありました。
そのために何をすれば一番適切なのかは不明でした。

とういわけで、生存しつづけることを選択しました。
その中で、一番容易な手段は「就職」だったのです。

理想に形から入る「共産主義」には同意できず。
といって、イマイチ理解できない本人たちは解放的とはいうものの
閉鎖的で宗教的なコミューン運動などはありましたが、
何のルールもない「自由」を求める者だけの社会など存在しない当時、
やはり「資本主義」下の会社生活に組み込まれるしかなかったのです。

それで、面接。何しに来たのかという会社の質問には、
とにかく「生き延びるために」という回答になったわけです。
人間として大正解のはずです。

もし、60代近い、もう会社生活のOBになろうとしている私が面接し、
こんなことを言う求職者が来たら、その場で河岸を変えて飲みに誘うかもしれません。
そして、とことん哲学論かな。

続く・・・

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