2015年6月の記事一覧

続編です。

確かに、組織での生き方や仕事での対処に仕方は身に着けたので、
若い頃よりはいろいろな能力が身についたのでしょう。

だから、いろいろな問題に直面した場合の解決方法を後輩たちに伝授する立場になっているのだとは思います。

来る人、問いかける人は拒みはしません。

でもその前に、もう一度、就職前の状況に戻りたいと思います。

はっきり言って、大学を出て「何になるか」ということは、考えることがあっても結論が出たことはなかったです。

小学校の時に、「将来どうしているか」という先生の問に、どう答えたか思い出せば。
確か「将来、何になりたいか」という直接の問でなかったせいか、妙な答えを出しました。

みんなが、医者、先生、科学者、弁護士、警察官、小説家、スポーツ選手、音楽家など、
具体的な職業を挙げていたにもかかわらず、私は、「大気圏外に飛び出しているだろう」と応えました。
別に宇宙飛行士になりたいというわけではなかったと思います。

職業など全然思い浮かばなかったし、ずっと重力に抑えつけられているのも苦しい感じもしたし、
もっと幼い頃見た写真の中に、「タイタンから見た土星の出」という写真があり、
いつかあの光景を見てみたいと思っていたからかもしれません。

私は、こういう子供は別に妙だとは思いません。小学生の息子に問いかけても、
まだ具体的な将来の自分は描けていません。私の子供のころと同じように、
自己の存在の不思議などで語り合うのが好きです。

だから、親としては、子供の質問にはできる限り詳しく答えようとしています。
話は、時々相対論の話にもなります。小学生とて容赦はしません。
物理学、いや源流としての自然哲学は、もともと直観的なものであり、
真理を感じるに年齢は関係ないと思うからです。

私自身、時間と空間について詳しいことが知りたくて、
でも、自分で年齢不相応の書物を買うのは気が引けて、
「少年マガジン」の下に「アインシュタインの相対性理論」と
「時間と空間の物理学」を重ねて本屋のレジに出したことがあります。

私が、その頃、話したくてもできなかったこと、質問しても誰も答えてくれなかったことは、
約60年にもなろうとしている人生で学んだことは、なんでも教えてあげようと思います。
そして、自分を超えて欲しいとも考えます。

だから、仕事上の後輩にも同じで、仕事する以前に人間として持つ存在の疑問から、
とにかく生きるための仕事をこなす方法。社会の諸悪への批判など、
できる限りのことは自分なりの経験と能力で伝授しようと思います。

おっと、話がそれましたので、続きは次の記事でまた。

ビジネス

人間いつまで仕事を続けるのか。
気が付いたら50代後半になり、今まで何をしてきたのか、
これから何をしたいのかを考えていたら、
就職の面接の時に答えたことばを思い出しました。

「どうしてこの会社を選びましたか。この会社で何をしたいですか。
何のために仕事をするのですか」

私は80年代初期に就職しています。

転職歴があるので、大学卒業後、初めての就職の時です。
皆、入社試験マニュアルや受験の備えたある程度の準備をしている中、
私は何も準備せず、しかも前の日に大酒を飲み、
おそらく酒のにおいが残ってるであろう風体で、
入社試験に臨みました。

しかも、あまりその会社のことを調べずに行ったので、
いわゆる会社側をほめるような文句も準備していません。

まず、何のために仕事するのか。
これには、「生きるためです。そう、食べるため」と応えました。
正しいはずと思い、堂々と。

試験官はもちろん顔をしかめます。
「そう、確かに。でも仕事をするのは、
それだけのためではありませんよね」

「そう、なんのために生きるのか、何のために仕事をするのか、
を探るためにはとにかく生き延びなければいけなので」と回答。

ここでこの質疑は終わり、
「では、会社を選んだ理由と、入社したら、何をしたいか、教えてください」

「募集要項を見て、今までやってきたジャンルと合うと思った。
理系の勉強はしたものの、机に向かって実験ばかりでは人間として偏るので、人と折衝し結論を導き出す仕事、そう営業を希望します」と私。

採用通知はおって知らせますということで終わりました。

なんかこう、ただ正直に対応しただけだけど、
客観的に反省すればこれは零点だなと思っていた矢先、
次の日に、総務部長面接に来てくれとのこと。

時間は昼時であり、総務部長(この部長は後に社長になる人物)と 差しで昼食。メニューは覚えています。エビピラフの大盛りでした。

簡単な質疑応答。
「趣味はなんですか」には「考えること。そう自分なりの哲学」
「何か誇れること、自信のあることは」には、「一見、気弱そうに見えるけれど、内に秘めた闘争心と、しつこさ」と回答。

それで入社試験はその場で合格しました。

その後、営業で3年ぐらいは新人として修行を積み、
その総務部長が社長に就任し辞めるまでの17年間、
その1社目を勤め上げました。

サラリーマンとは、どう生きるべきなのか、
営業とはどのような仕事なのかなどを学び、

その社長には、入社時は英語などまるでできない私を
自由に海外を飛び回れるように鍛え上げていただきました。

入社時、風変わりな新入社員も別の会社で、
取締役を務めることができるぐらいの器量を持てるよう
鍛えていただいたのです。

ただ、ここにきて思えば、
私自身の考え方は変わっていないのです。
もちろん幅ができたし、いろいろなことに対応はできます。
まるで、俳優のように。
でも本質は変わっていません。

内に秘めた闘争心やしつこさは変わりません。
「宇宙のこと。人間がなぜ存在するのか。目的は」など、
小学校4年生以来の疑問はいまだに解決がつかず、しつこく考えています。

ただ変わったのは、いろいろな局面での解決方法を会得したこと。
簡単なことでは驚かなくなったこと。むしろ、驚かせてほしいと思うようになったこと。相変わらず、仕事モードのスイッチが入らないと、自分から他人に話しかけることは稀ながらも、いろいろな性格の人に対応するスイッチを持つようになったことなどです。

ビジネス

ちょと、シビアな題名を挟みます。

ちょっと前に書きましたが、私自身、海外派遣の身でありながら、
不況のあおりでリストラに会いました。

しかも、年齢は50代後半!!

絶望的です。

と、周囲の皆が口をそろえて言いました。
なんで危機を察知して、事前に帰国するなり、
日本でも派遣先でも、口利きをしてもらうよう知人に頼まなかったのかとも言われました。

確かにその通りです。
来る時が来るまで、対策が打てませんでした。

そして年齢というハンデは、ものすごい壁です。
現地の人材紹介会社、ヘッドハンターたちも皆同意見。
あと10年若かったら、なんとでもなったのに。

ということ。

ネットで日本の転職サイトにも申し込んだのですが、
やはり、通り一遍の対応。

それでもスカイプ面接まで行ったこともありましたが、
やはり、海外経験者で。日本帰国者の方が優先されるのが現実。

確かに特殊技能があれば、もっと違っていたとは思います。
私の場合、海外子会社の社長という立場であり、
エンジニアは卒業済み。

年齢にかかわらず転職に有利な職種とは、
次のようなジャンルでしょうか。

タイトルに入れましたが、「技術者」では無理とは言い切れません。
しかし、希少価値の高い技術者でないと価値がありません。

経理、しかも海外法人の経理経験者
特殊工程の技術者
金型記述者
IT技術者
ISOコンサル、等

やはり専門業種で、組織の統括者とか、マネージャー、
管理者、ネゴシエイター、プランナー、営業企画等の職種は、
優れた人材でも、無冠の帝王であり、
目に見える資格ではないということです。

ヘッドハンターには理解はされます。

海外組織の統括経験者、営業、営業技術等の成功例を持つ
経験者は、経験の蓄積がモノを言うので、年齢に関係なく
いや、働ける体力があることが前提だが、
年齢が高いほど、評価されてよいと。

しかし、実際に、その資質を見抜くのは大変であるともいいます。

というわけで、生活を立て直すには時間がかかりました。

ビジネス, 海外