良い仕事をするには健康管理が必要です。
とにかく、長いサラリーマン生活にはいろいろありますので。
精神的にも、肉体的にもケアが必要です。
ちょっと話が飛びますが、難しい経典はまだまだ分かりませんが、
仏教の祖、釈迦の教えで、一番わかりやすい考え方に、「中道」があります。
一言でいえば、「やりすぎず、やらなすぎず」だと思います。
若いうちはいろいろと色気があり、やりたいことがたくさんあります。
ついやりすぎてしまいます。たとえばわかりやすいところでは、「飲みすぎ」。
二日酔いすれば「もう2度と飲むまい」と思います。
誰にでもその経験があるはず。
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定年とはなんでしょうか。
55歳から60歳、そして65歳と延長する会社が増えています。
とくに法律で決まっているわけではないですが、定年とは何か。
その前に、仕事とはなんでしょうか。
以前、私は、就職の面接で、「仕事は食べるためです」と応えて、
驚かれたことがあると記事に書いています。
確かにこんなに正直にいう奴はいません。
有名なボードゲームの人生ゲームに、サラリーマン以外の専門職のカードがいくつかあり、
医者、レーサー、芸能人などがあります。
子供たちはこぞってかっこいい仕事を選びたがります。
フリーターがあるのは笑えますが、現実は、なりたい仕事に就くことが難しい以前に、
真になりたい仕事はなんなのかを自覚することが難しいのではないでしょうか。
要は、この世の中には「何かなりたい職がある人」と
「イマイチ決まらない人」がいます。前者は、はっきりしていてもう、
自分の進みたい道にまい進すればよいでしょう。確かに、それでもいばらの道はありますが。
後者の場合が困り者です、この集団には、学校の成績が良い人もいます、
成績と進路の選択はあまり関係ありません。
学科は好きであればできてしまうでしょう。
でも、それを極めた先に、必ず適職があるわけではありません。
私も含め、多くの人が、なんとなく、決められないまま、
いろいろな周囲の状況や偶然性からなんらかの就職先を決め、仕事を決めていきます。
決めないと食べられませんので。
というわけなのですが、就職した際、さほどモチベーションがなくても、
はじめは先輩に教育されて、いやいやながらでも仕事を始めれば、
いつの間にか慣れてしまい、ある程度流暢にこなすようになります。
そして、特に好きではなかったし、向いているとも思わなかった仕事ですが、
食べるためにやっていたにも関わらず、なんとなく人よりも
流暢にこなすことに快感を覚えるようになります。
もちろん一般論的な話なのですが、仕事には、「息抜き」「妥協の時間」などがあり、
躓いたり苦しんだり、疲れたりした時に、休める時間も取れるのです。
はじめは、「毎日通わなくてはならない、大変だ」とさえ考えていた職場でさえ、
なんら困難を感じなくなります。
不思議なモノです。麻痺でしょうか。
そんな風に言わなくてもよいでしょうね。
そして、入社時は、何もわからなかった新人でも、
「やりがい」さえ覚え、運よく取締役などになれば、
企業として社会に貢献しているとさえ言えるようになります。
そして、なんだかんだで定年。
それが定年なのです。
次の記事では違った角度から見てみます。
ちょっと、息抜きしましょう。
どこかで、息子からの質問には容赦なく回答すると話しました。
それは自分の幼少時に、周囲の大人からは、教師も含め、
満足のいく質疑応答ができなかったからです。
少数や分数の基礎は完全にマスターしている小学生の息子ですが、
その彼に質問。
1/3って、0.3の循環小数なんだよね。
つまり、1/3=0.33333・・・・・(※循環小数を表すトップドット表示がでないのでこう書きます)
ここまでは、息子了解。
では、両辺に3を掛けるとどうなるか。
1/3x3=1、0.33333・・・・・x3=0.9999・・・・
1=0.9999・・・・
となり、息子困惑。
確か、中学との時、教師に質問したら、0.9という循環小数は1なんだよといい、
高校の教師は、1に限りなく近づく循環少数なので、極限値として1なんだよと
説明を受けたのを覚えています。
私は当時納得がいかなかったのですが、
その後、哲学をかじってからわかるようになりました。
要は、数学というは、物事を説明するに便利な道具なのだということ。
人間の理性から発した体系だけれども、
都度、そう考えた方が、都合がよい定義があるということ。
子供のころは数学が学者たちが発見した、
厳格な体系であると思いがちで、
理解できないと、能力云々がないとかあるとかいう話に
つながっていくものと考えられていたような気がします。
それは、数学のわからない大人の作った誤解だと後々わかりました。
1/3はひとつの塊を3つに分けたというしるしであり、
仮に少数で表現すると、0.3の循環となる。
両辺に3をかけて、0.9の循環は1と等しくなるということで、
なんら不都合を生まないのであるということ。
息子には、数学(まだ算数なんだけれど)の道具として役割を教えました。
その後、息子は無理数や虚数を学習するはずですが、
そう考えたり、そのように表したりすることが都合がよいということに
合意するでしょう。
そして数学自体の持つ理性と人間の理性を比較し、
ゲーデルの「不完全性定理」まで到達するかな。
物理なんてまさにその典型で、
それまでの体系飛躍の連続です。
それでよいとすべきであって、
その背後にある疑問を常に維持し、
次の確からしき理論を築き上げていくのが、
人間の歴史です。
それが弁証法の歴史さ、なんて一言では片づけたくないですが、
世の中には、対象を客観的に平等に観察せずに結論づける人たちが大勢います。
「面接」もそのひとつ、その墓に方法論がないので、
どうしようないところは「不確定性理論」に似ています。
面接はランダムサンプリングの要素による判断です。
全部をとらえることは不可能なので、しかたありません。
また、質疑応答という手段によってとらえられた事象です。
方法なくして対象はとらえられないので、これも仕方ありません。
仕方ないという方法以外に存在しないということは、
面接=それ以外にない完全な方法
と言わざるを得ないかもしれません。
自信のある方は、できる限り客観的に正しく
試験官に把握いただくようご努力を!